2020年4月26日 聖書:イザヤ書35章3~4節「良く生きる」豊田護兄

願わくは  花の下にて春死なん  その如月の望月の頃
これは西行の歌ですが、西行は望み通り如月の満月の夜に死んだとか、この年は如月は閏月で二度あり二月の櫻の下で望み通りに死んだと伝えられています。「良く死ぬ」為には、「良く生き」なければなりません。

かつて戦争の時代、多くの若者が生きたいと思っても死ななければなりませんでした。今もコロナで、生きたいと思いながら死んでしまった人が大勢います。オリンピックで金儲けばかりを優先した国の対策の遅れの犠牲になつた人達です。国の戦争の為に欺されて死んだ人達です。

人は生きなければなりません。どんなにつらくても、どんなに悲しくても、生きなければなりません。昔「寅さん」の映画の中にこんな台詞がありました。光男君が寅さんに問います。「人は何で生きているんだろうか」そこで寅さんは答えます。「難しいことを言うね。・・・人はよう、つらい人生の中でよう、なんか生きてて良かったなと思うときがあるだろ。そのために生きているんじゃないか・・難しいことはわからねえけどよ」  そう人は生きている喜びを感じる為に生きていくのではないでしょうか。

梁塵秘抄という古い本に、「遊びをせんとや生まれけん」「遊ぶ子どもの声聴けば、我が身さえこそ動かるれ」というのがあります。人は喜びを感ずる為に生きているのです。ここで言う遊びとは、パチンコやばくち等の事を言っているのではありません。人生をかけて求める大切なもののことです。例えば音楽だとすると、必死で毎日練習を積み重ね演奏して初めて「良かった」と感じられます。スポーツでも同じです。本当の喜びは、つらい毎日の練習の上にしか得られないものです。この世に負けず、しっかりと良く生きて行きましょう

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