2020年8月16日 聖書:ローマの信徒への手紙8章36~39節「死にさらされた平和」豊田護兄

 75年前敗戦をむかえました。日本基督教団は戦争を支持しました。あの戦争は軍部の独走ではありません。多くの国民が後押しし、教会も後押ししました。この国民を欺き欺し、戦争へと駆り立てた人達や、当時のマスコミや多くの政治家たちは今反省をしているでしょうか。

 なぜ戦争は起きるのでしょうか。大抵の場合は、国家間の利益の衝突です。そしてそこに利益を求める人達が大勢いるのです。決して国民を護るためのものではありません。戦争によって莫大な利益を得ようとする人達は、国民を騙しあたかも戦争が正義であるように人々を誘導して戦争に向かわせようとします。なぜなら戦争はお金なるからです。
我が国は「大東亜共栄圏」などと嘘っぱちを述べて、中国や朝鮮半島への侵略をはじめました。

一方アメリカも簡単に戦争が終わっては儲からないので、日本中を爆撃し原爆まで落とします。只の実験の為と、今後の社会主義国への牽制の為におとします。アメリカでは、原爆は正義だと思っている人が大勢いますが、とんでもない嘘です。本当に早く戦争を終わらせるなら、江東区の街をやくより、皇居を焼き払えば良かったし、大本営の本部を焼き払えば良かったはずです。戦争を長引かせて何らかの利益を得たい人達が大勢いたのです。

戦争に正義はありません。日清戦争・日露戦争・一次大戦については、勝った戦争として、太平洋戦争のように戦争として反省することが少ないようです。これもおかしな事です。あらゆる戦争に正義はありません。

私が18才の時大学に入学しました。父はとても喜びました。父が18才の時、父は戦闘機に乗り、死を覚悟していました。多くの仲間が特攻隊で死にました。父は予科練が大嫌いで、国は若者をだまし多くの優秀な若者を殺すとよくいっていました。私が20才の時、ステージでモーツァルトを演奏しソロを吹き万雷の拍手を浴びました。聴きに来ていた父は、とても興奮していました。父が20才の時、敗戦を向え炭鉱で石炭をほっていました。いつも死が背中にありました。そんな父達のような多くの人達のお陰で、今の平和があります。父曰く「決して国に欺されてはいけない」、国の為などという言葉をけっして信じてはいけません。教会は二度と戦争を支持したり、国を支持したりしてはならないのです。

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