2020年8月30日 聖書:テサロニケの第一の手紙5章10~18節 ・コロサイ人への手紙3章12~15節「愛は多くの罪を覆う」樋口公子姉

5月からコロナが流行っているので礼拝を中止した方がよいかどうか教会で話し合った時がありました。その時に私は中止に賛成でした。でもそれが間違った事のように言われているようでとても苦しい思いをしました。その時にめったに聞こえない神様からの声が聞こえました。それは自分が正しいと思う自分の義を通すことを止めなさいというものでした。自分の義を捨てあなたが謙虚にさせられること、それが恵みなんだよと、そう言われたように思ったのです。私たちはいつのまにか自分が主語なり、自分が先になってしまいます。自分ではなく神様を常に前に置くということ、自分の力や自分の正しさでするのではなく、ともにおられる神様がなさることに委ねるということを忘れずに心に平安をもって生きていくことがなにより大切だと気付きました。
NHKのエールというドラマの主人公は作曲家の古関裕而がモデルです。彼は戦時歌謡曲を作っていましたが、慰問した戦地の過酷な状況を目の当たりにし若者を前線に送ることに加担したと自問します。そんな時軍歌を作るよう命令があったそうです。迷った末軍歌を作る選択をし軍国主義に加担したと非難されます。この曲は歌詞にマッカーサー、ニミッツという言葉があったために戦後米軍基地の中でとても流行ったそうです。音楽の中に普遍性があり、だれの心をも楽しませ勇気づける立場の違いを超えた感動があった。それは単なる思想の音楽ではなく自分たちの身代わりに戦争で死んでいった人たちの思いと無念が分かるから、その思いに寄り添った私利私欲のない偽りのない心からの音楽が、命を削って作られた音楽がそういう奇跡を起こしたのだと思うのです。その時代の価値観の中で同じ試練や苦しみを経験したものに分かる心です。「この大祭司は私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったがあらゆる点において私たちと同様に試練に遭われた」とあります。愛というのは、試練によって分かる恵みなのではないかと思います。軍歌を作ったことは誤りであったかもしれませんしそうでないかもしれません。でも愛は多くの罪を覆うものです。神様はその心を見られると思うのです。
私は親から与えられたがんばって勝ち取る価値観で苦しみました。この世が良いと思う価値観から方向転換して神様の価値観に生きる。自分はたとえこの世の価値観では人に劣るものであったとしても、神様の価値観では素晴らしい最高の存在であることを信じ、神様から与えられた真実な歩みをする方向へと変えら、その先に素晴らしい人生が待っているということを信じる時に、本当の人生への歩みが始まると思います。この世が良いと思う人間を目指すのでなく、神の与えられた自分の人生において上を目指す。それは必ず実を結び喜びに満たされます。その喜びに感謝することが信仰だと思うのです。人と比べたり争う必要もありません。人との間に平和を実現することができます。お互いを尊敬できます。それは違う人種、国に対してもそうだと思います。神様はそのことに気が付かせるために試練を与えるのかもしれません。
これからも価値観は変り大切なことのために
戦わなくてはならないこともあるかもしれません。しかし自分の義を出そうとせず、私の内に生きておられる神様に聞きながら、何をすべきかを考えていきたいと思います。そして多くの罪を覆う、暖かい神の愛、赦す心がわたしの内に実現されるように祈りたいと思います。批判も大切であるかもしれませんが、それでは人は変りません。神様の愛に満たされて歩むことで、神様にのみ希望があることを証しできるなら、それこそが人を正しい方向に向かわせるものだと思います。それは愛し合う方向、平和の方向です。きっと神様の価値観は変りません。愛は永遠です。この世では小さな石ころでも喜んで自分の人生を歩んでいきたいと思います。

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