2020年11月15日 聖書:マタイによる福音書21章23~27節「権威に価値はあるのか」豊田護兄

 権威を辞書で調べると  1.他人を強制し服従させる威力 2.人に承認と義務を要求する精神的・道徳的・社会的な威力 とあります。要するに、形のない見えない威力となります。本当は意味や価値とは無縁な脅かしともいえます。そして権力と結びつき人々に強制したり、強要するための形無き圧力になります。あたかも意味が在るように見せかける「力」となります。

 聖書のこの箇所の祭司長や長老にとって「権威」は自分たちの利益を守る為の立場への意味付けです。そして「分からない」とは、自らの権威には、何も意味が無いと自ら述べているのです。権力も本来意味のない物ですから、やたらと権威をほしがります。だから、専門家と言われる人達の後押しや確認を求めたがります。そこには嘘と悲劇が待っています。かつての戦争、そして国策の名のものに勧められてきた原発、権威は安全だと言い続け福島の事故が在りました。そして捨て去られた何万という人々、同じ国策で捨て去られた何万という炭鉱労働者。権威が生み出すものは何なのでしょうか。

 今もめている「学術会議」の問題。本当のこと真実を伝える人がいては国には都合が悪いのです。権力が間違っていると言われては困るからです。「権威」にとって一番怖いのは「真実」なのです。ですから決して説明はしません。

 先日生徒の葬儀に行きました。28才でなくなったのですが。いつもニコニコ笑っている生徒でした。家族やみんなに愛されて、幸せな人生だったと思います。この子には、権威などは全く必要はない生活でした。みんなに豊かに愛されることが彼女の幸せを作り、そこから生まれる笑顔に触れることで、私たちも幸せになったとおもいました。
 人が生きて行く上で、「権威」などは必要無いのだとつくづく思いました。

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