2021年11月28日 聖書:ヨハネによる福音書1章1~5節「言葉を考える」豊田護兄

 言葉は文字よりもずっと前にありました。言葉は柔らかく形がなく一つの大きなエネルギーの様なものではないでしょうか。ですから「祈り」は文字ではなく言葉なのでしょう。

 音楽という音の世界もこれに似ています。言葉と同じで人にそして自らに、力と心を伝えるエネルギーなのです。伝えるだけではなく自らが確認し感じるエネルギーでもあります。

 6月から9月まで「6月の雨」という曲を作っていました。作曲は雨の様子を音で表すのではありません。雨から伝わる何かを、音という言葉に変えて伝えるものです。言葉の後ろにある何かを伝える作業です。演奏も楽譜の後ろあるエネルギーを伝えなければ意味がありません。ただ楽譜の音を再現するだけでは音楽になりません。

 「リンゴ」という言葉が伝えるものは、リンゴという具体的なものではありません。色や味や香り、そして季節や場所や思い出などの形のない沢山のイメージがその言葉に含まれています。でも「リンゴ」一言です。

 文字は便利ですが、とても内容を狭くしますし言葉のもつエネルギーを奪うものです。言葉は本来自由で豊かなものです。現代社会は、言葉より文字を重要視する傾向にあります。そのことで教会も含め大きな間違いが生まれてきている気がします。教育や学歴などがやたら重要視されるのもその大きな問題の一つです。聖書についても文字だけではなく言葉のエネルギーを感じて読まなければならない気がします。文字の後ろにあるエネルギーを感じとるように心がけたいものです。大切なものは目に見えず形はないのです。

 

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