2022年1月23日 聖書:ヨハネによる福音書15章1~10節「豊かさについて」豊田護兄

 豊かさとは何でしょうか。フレディー・みかこという作家がいます。30年以上昔、とても貧しく荒れている地区の中学のバンドを頼まれて教えていました。家内に「カセットを持っておいで」とか言ったらだめと釘をさされました。100円のカセットが買えない生徒たちが大勢いる地域だからと。この人はその地域の貧しい生徒の一人でした。それもあり「地べたから物を考える」という視点に共感して、最近とても注目しています。彼女出した、「This is Japan」を読んで貧困と差別について考えました。

 日本人の平均収入は437万で60%以上の人がこの額に達していません。そして韓国に追い抜かれ40万近く差があります。韓国の食堂で朝のアワビのおかゆやクッパを頼むと約500円、テーブルにのりきれないほどのキムチやおかずが出ます。イタリアでもアンチパスタは一皿の値段でいくら食べても値段は変わりません。これを豊かさと言うのかなとふと思いました。生活にゆとりを感じますと同時に心にゆとりをかんじます。日本にこの豊かさとゆとりはあるでしょうか

 数年前、韓国の大統領が失脚しました。その時のデモは100万人をはるかに超え1000万にも達したと言われました。多くの高校生も参加しました。スペインでもイギリスでも色々な場面で同じ事がおきました。日本では安部さんが、あれだけでたらめをやって、財務省もでたらめをしても、1万人のデモすら起きません。私たち日本人には、キムチのゆとりすら持てない貧し心と考えるゆとりのなさがその原因だと言われています。

 貧困問題の最前線にいる友人にたずねました。「日本ってなんて貧しいくになのかね」「炊き出しの手伝いにおいで」でした。「子ども食堂」ぐらいではどうしようもない所まできているとのこと。真面目に働いて年取って生活が厳しくなる現実、これは政治の問題で個人の問題ではありません。なのに誰も文句を言わないどころか、デモすら起こせないぐらい日本人の心には、物を考えるゆとりがありません。本当はコロナどころではないのです。
 キリストにつながっているとは何なのでしょう。しっかりと自分自身を見つめ、心にゆとりを持って生きる事でしょう。そこでこそ本当の豊かさが得られるという事なのです。今私たちに何が問われているのでしょうか。私たちはけっして豊かではありません。そのことをしっかりと考えなければなりません。

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