2022年2月13日 聖書:マルコによる福音書4章13~20節「たとえ話で真理を学ぶ」世良田静江牧師

譬え話を理解するためには大切なことがあります。イエス様を取り囲む、イエス様の周りに生きていた人々に主が語られたこと、イエス様がどうしても話さずにはおれないこと、そこに譬え話が生まれたのです。それはその人々に真実に気づいて欲しいからです。主が話される譬え話は常に問いを含みます。そしてイエス様の譬え話に触れると心が癒やされます。さて、本日の箇所は神のみ言葉であることはお分かりでしょう。種は不思議です。小さいけれど大きな木になったり、何倍もの実を実らせたりします。カルヴァンは「神は万人の心に宗教の種を宿らせた」と言っています。神さまが人の心に信ずる種をまかれたとすれば全ての人が信じるようになる筈ですが、種は固い殻をかぶっているのです。全て芽が出るとはかぎりません。どうしたら固い殻を破れるのでしょう。まず、種は蒔かれ、地面の中で水を受け、太陽の光を与えられて芽をだすのです。机の引出しや床の間に置かれても芽は出ませんし、神の言葉は誰にも届きません。創世記によれば人間は地の土から造られたもので「ちりに帰れ」と言われます。人間はみな死に土に帰るのです。土地のために争いがあり、お金儲けがあります。今日の聖書箇所には4つの土地の話が出て来ます。4つの型のひとがいて各々の姿をしていると思って来ましたが、これは一人のひとの信仰の有り様なのです。道ばた、石地、いばらの中、良い地、それは私たちの4つの態度なのです。信仰はいろいろな試練を経て苦難を突き抜けて生活の中に根をもちます。それは十字架の苦難と克服もあります。教会は聞いて受け入れることを大切にしているでしょうか。イエス様はこの複数の地に落ちた種に気づかせようとしているのです。一粒の種が地に落ちる、一人の人の祈りが熱心な福音宣教なのです。神は良い地に落ちた種から神の国の形成を望んでおられます。譬え話に続く主の語られた譬え話はやさしい中に真理が詰まっているのです。心で聞く、悔い改めて(心の向きを変えて聴きましょう)

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