2022年3月6日 聖書:ルカによる福音書6章20~26節「幸福と不幸」豊田護兄

 3月3日はひな祭りの日ですが、日本で最初の人権擁護団体である「水平社」が創立された記念日で、今年で100年を迎えました。先日、鶴尾さんが編纂された冊子「一粒の麦・種をまく人2」を見つけ、服部先生の「教会設立に対する理念」という文を読みました。そこには炭鉱夫として働く中で体験された多くの差別から学ばれた「被差別に対する理念としての、逆差別の理念」について書かれていました。服部先生自身解放同盟の方々と共に差別の問題に取り組んでいらっしゃいましたし、「復権の塔」にも差別と戦うという大きな理念が含まれています。

 自分の課題としての差別について言うと、過去に学校の人権の担当の仕事をする中で、地域の部落問題と関わる中で大変大きな事を学びました。それは、「障がい」について理解し知識があると思いこんでいる障がい児学校の教師自身が「差別」について「障がい者差別」について一番分かっていないという現実でした。知識もあり良く分かっていると思いこみ、自分は差別などしていないという思いこみです。今ではあまり使いませんが、「訓練」という言葉がよく使われていました。「訓練」によって「障がい」を克服するという考えが根強くありました。たしかに一部は改善され生きやすくなる場面もありますが、病気ではありませんから治りはしません。「障がい」は悪ではありません。それをそのまま全部その人の個性として受け入れる事が大切なのです。

 当時新宮町の広報に人権問題を文章にして発信していました。その中に
・・・・ 知的障がいは治りません、学習の一環としておつりの計算の学習をすることも大切ですが、その人が住む地域の人がその人を理解してあげ、地域のお店で計算をしてあげたら、その人は安心して暮らしやすくなると思います。・・・・・・ 逆転の発想ですが、服部先生の「逆差別の理念」に似ています。マタイ20章のぶどう園の労働者に少し似ています。

 私たちは、幸福だとおもっていますが、それは不幸と隣合わせにいます。一見豊かに見える食べ物は、ほとんどが外国から買った物です。日本の食料の自給率は30%そこそこです。何か起こると、何千万の人が餓死しかねません。この「逆転の発想」が、30年前の文章に服部先生は書かれていました。
 私たちは、今こそ発想を変えなければならない時に来ているのではないでしょうか。   

聖書のお話