2022年5月29日 聖書:マルコによる福音書2章1~12節「福音の担架」岡田博文兄

 ある集団の中で古くからある慣習や風俗、信仰、伝説、技術などを受け継いで後世に伝えていくこと、また伝えられた事柄や物を伝承と呼びます。聖書もまたその一つです。
「奇跡物語」伝承は、奇跡の対象から(1)「治癒奇跡」、(2)「自然奇跡」に分けられる。
 今朝の物語は「治癒奇跡」物語であり、この物語の中心は2つある。
第一は主イエスの奇跡であり、第二は罪の赦しに関する主イエスの言葉(8~9節)である。この場合、第二の動機は元来奇跡物語の中に二次的に持ち込まれたものと思われる。と言うのは、5節の前半(「イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に言う」)は11節(「わたしはあなたに言う。・・・・」)以下に自然に繋がり、3~5節前半と11~12節とで一つの完結した奇跡物語を構成している。
 ガリラヤ地方で教えを宣べ伝え始められた主イエスが、病人を癒し、悪霊を追い出されたという噂が広まったので、4人の男が中風の病人を担架に乗せて運んで来ました。
やっとの思いで連れてきたら、主イエスの定宿だったペテロの家は、戸口までいっぱいになるほど人々が詰めかけており、主イエスのそばに近づくことができず、「イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床を吊り降ろし」ました。(4節)。
何とかして病人を癒してほしいという切実な願い、奇抜な行動、非常識な行動を主イエスは「信仰」と見てくださいました。
 私たちが学ぶべき第一は、主イエスは「私たちの願い、祈りを聞かれる」ということです。
奇跡を信じるということは、どんな絶望的な状況の中に置かれても、屋根に穴を開けてまでも主イエスのそばに病人を運んだ人々のように、最後まであきらめないで、人間の知識や常識を越えた可能性を信じて、突進していくことです。
 第二は、「罪の赦し」です。主イエスは中風の者の病気を癒す前に、罪の赦しを宣言されました。「子よ、いま、あなたの罪はゆるされた」(5節、塚本虎二訳)。
 主イエスは人間にとって一番大切なことは、まず罪が赦されて、神の前に義とされることであり、神と自分の関係が正しくなっていく時、肉体の問題も自然に解決していくと言われるのです。
 人間の一方的な反逆によって失われた神との交わりが回復されるために、主イエスは私たちの罪を赦し、神と人間との失われた関係を、もう一度取り戻すために、私たちの罪の身代わりとなって、十字架で死んでくださったのです。
 第三は、「新たな生命、新しい人生が始まる」ということです。
 また主イエスは、「起き上がり、床を担(かつ)いで、家に帰りなさい」(11節)と言われました。 
 主イエスが、そして主イエスだけが、私たちになされた本当の奇跡は、十字架の死によって私たちの罪を赦し、復活によって私たちに永遠の生命をお与えくださったことです。神との失われた交わりが回復され、神を礼拝し、神と共に生きることが許されるということです。
 さて、「伝道はとてもむずかしい」、という言葉をよく聞きます。しかし、私たちは今朝、学びました。中風の者を、主イエスのもとに運んで行く信仰、悩みある者を、主イエスのもとに一生懸命運んで行こうとする信仰、それが「伝道」であることを。
 4人の男たちは病人を担架に乗せて連れて来ました。これは「福音の担架」です。
あなたはこの「福音の担架」で誰を運びますか。

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