2022年7月31日 聖書:ガラテヤの信徒への手紙6章1~10節「可能性を信じて歩む」樋口公子姉

私は10代のころ、何のために私は音楽をするのだろうと思っていました。上手な人はたくさんいて私が音楽をやっても別に人から必要とはされていないのにと思っていました。脳科学者茂木健一郎さん「自分だけの表現をもつことが大切、それが生きがいになる。自分というものは外に出さないとわからない。」と言っていました。音楽をする時も、人それぞれ感じ方が違い、表現したいものが違います。その自由な自分だけの表現をすることで、それを認めてもらう喜びを味わうことが、自信ややる気につながっていくのではないかと思いました。このように表現したい、伝えたいというものはその人だけが持つオリジナリティです。また大切にしなくてはならないものであり価値のあるものです。それを皆が持っているものです。その価値は表現しなければそのままですが、それを外に出して人と分かち合う時に大きな価値に変わります。表現するというのは心の中にあるものを伝えるということであり、何とかして伝えたいものをあれやこれや努力してもっと伝わる形にし
ていくものだと思います。決して簡単ではなく、時には苦しみも伴うものではないでしょうか。それはそのことに本気になって取り組むからこそ必ずその過程で味わうものであると思います。大切だと思うことを表現することに本気で向き合っているから苦しいのであって、その苦しみから逃げずにもがき努力している姿は尊く愛おしいものだと思うのです。苦しみを乗り越えて形にし、表現された時、それがまた新たな感動を生むのだと思うのです。それがどんなに小さな感動だとしても、その感動を味わった人がまた勉強する意味や、生きる意味を見いだすのだと思うのです。何か新しくやってみよう思う時、何の抵抗もなくスムーズに始めることはありません。でも何度もやっていれば、うまくできたと感じることが時々出てきて、それを重ねていくうちにできる感覚ができてきます。そしてその回路づくりがされれば、それはなかなか壊れないものです。苦しみは楽しいものに変わります。それが本当に楽しいということであると思います。表現したいもの、それは伝えたいものと言い換えることができると思います。それを言葉とも言います。私の伝えたいものはただひたすら人に喜ばれるものでありたいのです。神様はその言葉の源です。「命を与えるのは霊である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」どのような状況にある人であっても、その人には価値があります。神様はその価値を私たちのうちに見ておられ、私たちを信じておられると思うのです。価値あるものが役に立たないはずがありません。少しでも願いがあるならばそれは可能性です。タラントです。私たちはまずその心に描いた可能性をやってみることだと思います。そして刺激を受けること、つまり体験することが力になります。どんな小さなことでもやってみたい、自分もできるかも、と思うことは可能性です。夢や自分には無理かもしれないことをやってみる。何度も触れていく。探していくこと。これが努力の意義であると思います。あきらめずに続けるならば実を結ぶ時が来ます。可能性とは、心からこうでありたいという心の願いだと思います。心に願いを起させかつ実現されるのは神であり神が良しとされます。その可能性に向かって一歩一歩歩みを進めることが永遠の命につながることではないかなと思います。神様は私たちの価値を見てくださると言いました。しかし私たちには罪があります。罪があるにも関わらず生きることができるのは、神様が十字架にかかって死なれたという事実によるのだと、だからそれを信じて赦して頂くしかないのだと、そのことをただ信じているから神様が許されるのだということが分かりました。だからどうすることも出来ない罪があるたびに赦してくださいと神様に祈り、また一歩歩みを進めるしかありません。自分は正しいと主張できるものはない。それでも神様が赦しくださったのだから、私はこれからどうしようものない罪を赦されながら、自分が許されたように、他の人を赦し、愛することをしていこうと思いました。熱心に求める、というのは本気で祈るということで、これが聞かれる祈りと言います。私はその本気で祈ること、熱心に求めることはそれが御心だからと思うのです。ですから御心にかなう祈りとは、熱心に求め、本気で祈る祈りだと思うのです。可能性を信じて歩む時、それが本気ならばきっと御心です。神様に日々罪を赦されながら、愛することに勤めること、それが神様に従うことだと思います。頼るものは神様が可能性を実現させてくださると信頼することしかありません。しかしこの一歩一歩が永遠の命につながります。その一歩一歩を歩む時想像をしなかった素晴らしい感動を経験することを信じています。その先の先で天国で神様にいつかほめてもらえるような人生に、変えて頂きながら歩んでいけたらいいなと思っています。

聖書のお話