2022年8月7日 聖書:出エジプト記14章14節 「主が戦われる」 川本良明牧師

●映画「十戒」で有名ですが、この出来事はイスラエル民族の始まりです。なぜなら神の一方的な介入によって奴隷状態から解放され、民族存立のゆるぎない根拠が神の手にあることを示されたからです。<主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい>と言われます。私たちは、神の戦いを具体的にイエス・キリストにおいて示されていますが、①どこで戦われるのか、②どのようにして戦われるのか、③何のために戦われるのか、この3つの点から神の戦いを見てみたいと思います。それによって私たちは、神が私たちの物差しでは測ることのできない深い憐れみをもって、私たちの救いのために戦い、勝利し、私たちをゆるぎない約束に生きる者とされることを改めて知ることになります。
❶神はどこで戦うのでしょうか。神は私たちの不安の現実の只中で戦われます。
◎神はイスラエルの民を、エジプトに滞在してから430年後に、エジプトを脱出させました。その年数は、神が先祖アブラハムに約束されたものです。彼は神からの祝福を信じて旅立ちましたが、いくら待っても祝福を得ないのでひどく不安になった、まさにそのとき、「恐れるな、あなたの子孫は星の数より多くなる。彼らは異邦の国で四百年間奴隷として苦しめられる」と告げられました(創世15:13)。
◎その四百年後の今、子孫が増えて民族にまでなっていましたが、奴隷とされ、いろんな抵抗をしましたが万策尽きて、神に助けを求めた、まさにそのとき、神は彼らの嘆きを聞き、行動を起こされました(出2:25)。そして神の遣わしたモーセに率いられてエジプトを出ると、後ろが荒野、前が海という場所にきました。そこへ心変わりしたファラオの軍勢が迫ってくるのを見た人々は、非常に恐れて叫び声を上げた、まさにそのとき、神は「恐れるな。落ち着きなさい。あなたがたは二度と、永久にエジプト人を見ることはない」と言われ、海を2つに分け、海の中に乾いた道を開いて、無事に海の中を通らせたのでした。
◎このようにアブラハムやイスラエル民族は、不安や恐怖の現実の中でこそ神の言葉を聞き、神が戦われることを示されたのです。そして「恐れるな、大丈夫だ」と神から言われた彼らは、恐れさせる現実から自分たちを解放する具体的な出来事を体験したのでした。私たちは、このような神に守られ、導かれています。私たちもまた不安や恐怖に直面するのですが、まさにそのとき、神はこの現実の中で戦われ、私たちが人生の本物を見出すようにと働かれているのです。
◎しかも私たちは、彼ら以上に確かなことを示されています。なぜなら、私たちの主イエス・キリストが、十字架の苦難の道を歩み、自らの死をもって、信じる者すべてに救いをもたらす業を成し遂げられたからです。しかしそのためにこの方は、私たちには到底推し測ることのできない不安と痛みと苦しみと死をご自分のものとされました。もちろん彼は、一般の宗教が主張する「肉体は死んだが魂のイエスは生きている」のではなく、無となり、完全に死んだのです。ですから彼を慕う人たちも、彼が死んで永遠の別れという絶望の中に突き落とされた、まさにそのとき、神はイエスを甦えらせて、彼らと再会するという驚くべき喜びをもたらされたのです。神は私たちの不安の現実のまっただ中で戦われることを覚えたいと思います。
❷神はどのようにして戦うのでしょうか。その戦いの武器は、神ご自身です。
◎神はイスラエル民族が武器を持って戦うことを許さず、ただ秩序正しい生活を守るようにと命じられました。そこで彼らは、神の遣わしたモーセの言葉に従いました。エジプトを出て遠回りの荒野に向かい、海辺に宿営するようにモーセが告げたとき、<彼らは言われたとおりにした>とあります(4節)。
◎神の作戦は、ファラオたちに、「案の定、道に迷い、愚かにもあんなところで宿営している」と思わせることでした。彼らはイスラエルの民を根っから馬鹿にし、無知で愚かな連中と見下していました。出エジプト記7章14節から10章終わりまでに、モーセが神から遣わされて9つの災いを下したことが書かれていますが、ファラオはじつにかたくなでした。ところが初子の死という最後の災いが起こると、さすがにファラオはモーセの要求を呑みました。しかし、すべての初子の葬儀が終わって落ち着くと、またもやかたくなになりました。安上がりの労働力を失ったと後悔し、奴隷に馬鹿にされたと思ったからです。
◎「かたくな」の根柢には強い差別意識があります。これは米国で相変わらず起こっている白人たちの姿と重なります。リンカーンが南北戦争に勝って奴隷解放を宣言し、キング牧師などによる公民権運動が展開され、ついにオバマ大統領が誕生しました。しかし相変わらず黒人は殺され、リンチにあっています。それは黒人に対する白人の根っからの侮蔑意識があるからです。これは日本も同じです。入管職員のアジア人蔑視は昔から何ら変わってないからです。
◎しかし、神ご自身が、「私がファラオの心をかたくなにするのだ」と言われていることに注意したいと思います。神は、こうしたファラオと戦うのに何を持って戦ったかと言えば、おどろくことに武器弾薬ではなく、水という自然の力をもってでした。ところが人間は、そうした戦い方に激しく抵抗します。自己中心に生きる人間は無防備であることに恐怖します。事実、イスラエルの民は、狂い叫び、モーセに迫りました(11~13節)。しかし、まさにそのとき、神はおどろくべき奇跡のわざを起こされるのです。<主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、…水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き…>(21~22節)とあり、無事に渡り終えると、<夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。>(27節)とあります。
◎イエス・キリストは、自分の命を捨てて、彼を信じる者に救いをもたらす業を成し遂げられました。私たちはいろんなものを失います。仕事を失い、家族を失い、健康を失い、人間関係などを失います。しかしキリストは、呪いの十字架にかけられて、<わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか>と叫び、神から捨てられる中で死にました。イエスは、何かを失ったのではなく、命を、存在そのものを失ったのです。その彼を、神は死から甦えらせて、死に勝利するということが起こったのです。神は何を武器として戦うのでしょうか。エジプト軍には水や自然の力でしたが、根本的には神ご自身を武器として戦われるのです。
❸何のために戦うのか。神は私たちを救うために戦われます。
◎神は、私たちの不安の真っ只中で、自分の命を賭けて戦われる、その目的を考えるとき、もう一度、モーセを通して語られた力強い神の言葉を聴きたいと思います。<見よ、今日、あなたたちのために行われる主の救いを!>これが神が戦われる理由です。神を忘れ、好き勝手に自己中心に生きていること、これを罪といいます。高慢でかたくななファラオの前におののくのも、エジプトを故郷と思い、そこに帰りたいと小言を言うのも皆、自分の中にある罪のせいです。こういう私たちと同じ肉となって、神は世に来られました。それがイエス・キリストです。
◎キリストは、私たちのために命を捨てて、私たちの罪を赦し、体の甦えりと永遠の生命を与えるために戦って、勝利されました。そのためにご自分の愛する御子を十字架に献げるほどに私たちを愛されています。まさに神の戦いは、私たちを救うための愛の戦いであります。しかもそれは世界が造られたときから、計画しておられたのであり、それを完成するためにキリストの十字架に死に、復活して、その戦いに勝利したことを感謝したいと思います。
◎信仰の先輩であるユダヤ人にとって出エジプトの出来事は、民族の始まりであり、存在の原点です。<主があなたたちのために戦われる、静かにせよ>という神の言葉は、<主が戦われる、だから生きよ!>と受け止めています。彼らの今日までの歴史を見ると、あらゆる時代に、何度も同じ危機に見舞われており、ナチスのもとで6百万のユダヤ人が虐殺されたのもその1つです。その度に出エジプトの出来事に立ち返り、今主が戦われている、今主が共におられるというゆるぎない信仰に立ちました。この彼らを強烈なまでに動かしたのが、「生きよ!」という言葉でした。
◎この「生きよ!」という力強い主の声を聞いて、主が共にあると信じるユダヤ人の信仰を、私たちは真剣に学ばねばならないと思います。ドラマ「屋根の上のヴァイオリン弾き」の中で、ユダヤ人迫害によってロシアから追放される主人公のティヴィエが、天に向かって、「ねぇ、神さま、こんな事があっていいんですか、ねぇ、いいんですか」と話しかけています。また数多くあるジョークの1つに、吊り橋を渡っていたあるユダヤ人女性が、「今日の献金はヤッパリ千円にしとこう」と値切ったとき、風でグラグラと揺れました。「ちょっと思っただけじゃありませんか」と上を向いて言っています。これほどに身近に神とつながっているのです。
◎おそらく前1300年ころに起こったこの出エジプトの出来事は、人類最初の奴隷解放です。何の武器も持たず、ただただ神が一方的になさったことで、世界の片隅で起こった、人類の歴史からすればほんの一瞬の出来事にすぎません。しかしこれはこの時だけに終わりません。なぜなら天地を創造された全能の神の介入で起こったからです。いつの時代においても神は生きておられます。ですからこの奴隷解放の出来事は、世界に確実に広がっています。そのことを見落としてはなりません。様々な暗い出来事があり、全く変わってないじゃないかと思いがちですが、そうではないのです。それは日本も例外ではありません。必ずそれは起こります。
◎これまで「NO MORE 倭乱」の集会(豊臣秀吉の朝鮮侵略と近代日本の朝鮮侵略とを抗議する集会)に関わっていた関係から求められて、7月にオンラインで釜山の高校6クラスの授業に参加しました。様々な質問がある中で、「集会の目標は?」と聞かれて答えたのは、次のようでした。「神がモーセを通してイスラエルの民をエジプトから脱出させた世界歴史最初の奴隷解放の出来事以来、着実に神の奴隷解放の出来事は進んでいると信じています。だから日本にもその波が来ることは確実であり、天皇制のもとに支配し続けている日本、古代以来奴隷の国である日本もまた神によって奴隷解放が起こることを信じています。集会の目標は、この奴隷解放が実現することです。」どんなに暗い現実が力をふるっているように見えても、神は、具体的な歴史的な現場において戦われていることを信じ、感謝して、この一週間を歩みたいと思います。

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