主イエス・キリストによって罪赦され、神の愛のもとに、新しい喜びに満ちた世界に生かされている私たちは、もはや、断食のような、古い戒律やしきたりに縛られる必要のないことを、主イエスはぶどう酒とそれを入れる皮袋の譬えで説き明かされました。
イスラエル地方は雨が少なく、飲み物は貴重でしたが、ぶどう果汁はすぐに酸化してしまいます。そこで保存の効く飲み物としてワインは貴重でした。現在のようにぶどうジュースとして保管する技術はないので、しぼりたてのぶどう果汁を、外気に直接に触れさせないように子やぎの皮に入れました。ぶどう果汁はすぐに発酵を始め二酸化炭素を放出しますから伸縮力のある子やぎの皮でなければ、発酵による気体(ガス)の圧力ですぐに破れてしまいます。そのことが、「新しい(ネオス)ぶどう酒」は、「新しい(カイノス)皮袋」にと記されます。
「新しいぶどう酒」の「新しい(ネオス=νέος)」は「新しい、若い、若々しい、現代的な」という意味で、時間的な新しさを表します。「新しい皮袋」の「新しい(カイノス= καινός )」は、「未だ聞いたことのない質的な新しさ。また、永遠に変わらない新しさ」を表します。まったく別のギリシャ語が用いられています。新しいぶどう酒とは、主イエス・キリストによって罪を赦され、その恵みのもとに生かされている新しい生活のことです。主イエスがもたらした「福音」という「新しいぶどう酒」は、ユダヤ教の儀式や古い習慣という古い皮袋に詰め込むことは、絶対に不可能でした。
使徒パウロはコリント人への第二の手紙で、「誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である」(5章17節)と語っていますように、信仰によって主イエス・キリストと共に生きる者は、どんなに世の中が変わっても、どんなに肉体は年老いても、いつも新しい喜びと希望を持って生きることができるのです。主イエス・キリストによってもたらされた福音は、どんな時代にも決して変わることのなく、私たちを新しく生かす力です。
明治の始めに我が国にもたらされたキリスト教は、封建的なしきたりに縛られた人々に、神のよって造られた人間として、新しく生きる自覚と力を与えました。宗教的な戒律を守ることではなく、主イエス・キリストを救い主と信じる信仰だけが、この新しいぶどう酒を入れるのにふさわしい新しい皮袋なのです。新しい生き方を始めようとするならば、古い生き方に別れを告げて、新しく生まれ変わる必要があると語っているのです。
アメリカの神学者、ラインホルド・ニーバーの祈りを紹介します。
「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」
定例行事
- 聖日礼拝
- 毎週日曜日10:30~
- 教会学校(子供の礼拝)
- 毎週日曜日9:30~
- 祈祷会・聖書研究会(午前の部)
- 毎週水曜日10:30~
- 祈祷会・聖書研究会(夜の部)
- 毎週水曜日19:30~
その他の年中行事
- チャペルコンサート(創立記念)
- 毎年8月下旬
- チャペルコンサート(クリスマス)
- 毎年12月23日
- クリスマスイブキャンドルサービス
- 毎年12月24日夜