2022年10月30日 聖書:マルコによる福音書4章7~8節「茨の中に落ちた種」鶴尾計介兄

 3月10日(木)夜帰宅すると、猛烈な痛みに襲われました。胆嚢の中の胆石が総胆管の中に移動した、と思いました。剣山で内側からガリガリやられているような痛みです。脂汗が出て動けません。翌日胆石の動きが止まったのでしょう、前日の痛みを10とすると8くらいになっていたので、宮田病院に行きレントゲンを撮ってもらうと、胆石が何個か詰まっているから手術の必要があるけれどベッドの空きがないから月曜日に来るように言われました。土曜日に電話があり、ベッドが空いたからすぐ来るように言われ、午後入院しました。脇腹から針を入れて胆嚢に刺して胆汁を体の外に出す処置をしてもらって、ずいぶん楽になりました。月曜日に先生に「処置が遅れていたらどうなっていましたか」とお尋ねすると「胆汁が肝臓に逆流して肝機能がとんでもない値になっていて、さらに全身に回っていました。放っておくと敗血症になって危ないところでした。」と言われゾッとしました。手術前に「簡単な手術ではありません」と言われましたが、気に留めていませんでした。

 星野富弘さんという方をご存知でしょうか。小さな村で育ち家はどちらかというと貧しかったようです。
24歳の時体育教師として中学校に赴任され、模範演技中に首から落ちて頚髄を損傷して首から下が全く動かないという状態になりました。

9年間の入院中に洗礼を受け、口に筆をくわえて文字と絵を描く練習を重ねました。土曜日の午後にお世話に来てくれる若い女性がいました。ある時その女性は星野さんが描いた絵を見てすごく感激した様子だったので、「そんなんで良ければ、やるよ」と言ったのです。しばらくしてこの女性はその絵を持って星野さんのお嫁さんになりました。おそらく周囲の反対もあったと思いますが、自分の意志を貫いた、すばらしい女性だと思います。
 星野さんの詩画集の中で、まむしぐさの絵とともに書かれた詩に心が震えました。最後の3行を読んだとき、涙がにじんできました。(ひとたたきで折れてしまう/かよわい茎だから/神さまはそこに/毒蛇の模様をえがき/花をかまくびに似せて/折りに来る者の手より/護っている/やがて秋には/見かけの悪この草も/真紅の実を結ぶだろう/すべて神さまのなさること/わたしも/この身よろこんでいよう)
すべて神さまのなさること、首から下が動かないこの自分も神さまのご計画の中にある、そうであるならこの身を喜んでいよう、ということなのだと思います。
24歳で人生のどん底に落とされ、今この境地、心の高みに達するまでどれだけの絶望を味わい、どれだけの涙を流してこられただろうか。
それを思うと心が震えます。

 手術で胆嚢を取り、総胆管から4個の胆石を取り出しました。手術後の心配は、
内径6ミリ以下の総胆管を切開縫合した後癒着して、管が詰まってしまわないかということでした。手術前手術後に祈りました。「すべては神さまのなさることです。みこころのままになりますように。」ところがそう祈りながら心が叫ぶのです。「神さま、どうか治りますうに。元の体に戻してください。」まるで神さまに要求するかのような叫びです。神さまにすべてを委ねることのできない信仰の弱さに愕然としました。これでは茨の中に落ちた種ではないか。信仰が何も育ってないではないか。そう思ってしばらく落ち込みました。
 しかし、神さまはぼくのこの信仰の弱さも心の弱さもすべてご存知です。
その上で今も教会につなぎとめていてくださいます。このぼくも神さまのご計画の中にあるのであれば、今の弱い自分を受け入れた上で神さまに「あわれみ導いてください。」と祈るばかりです。

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