2022年11月13日 聖書:出20章8~11節、マルコ16章1節 「安息日を守る恵み」 川本良明牧師

◎安息日は十戒の第四戒に規定されています。十戒の中の8つの掟は皆「~してはならない」という禁止規定ですが、第四戒の安息日の掟と第五戒の父母に関する掟は「~しなさい」という肯定規定です。
 後に旧約聖書を土台にして、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教が生まれました。内容的な違いはありますが、安息日の厳守だけは--イスラム教は金曜日、ユダヤ教は土曜日、キリスト教は日曜日ですが--共通しています。そのことは、安息日規定がどんなに強い影響を与えてきたかを示していると言えます。
◎十戒の中で一番長い安息日の規定をもう一度お読みします(略)。まず時間を7日で区切って、6日の労働と1日の休みを定めています。注意したいのは1日が夕方から夕方までであるということです。それは聖書の冒頭にある創世記第1章の天地創造物語に書かれている<夕べがあり、朝があった。第一日である。…夕べがあり、朝があった。第二日である…>に由来しています。
 そして「七日目は、あなたの神、主の安息日である」とありますが、これは創世記第2章2~3節が語る<第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された>に由来し、これが十戒の中の安息日の掟の中に書かれているわけです。
 これは大変重要なことを語っています。聖書の神は、初めもなく終わりもない永遠の時間にあられます。神が創造された世界の時間は、初めと終わりがあります。永遠の時間にあられる神が安息日の規定によって、世界の中に始まりと終わりという時間を刻み込んだということです。つまり安息日は時間の戒めなのです。
 時間は見えません。だから権力者は、見えない時間によって巧妙に支配します。それが元号です。たとえば「昭和○○年に誕生した」とは、昭和天皇が即位してから○○年目に誕生したという意味です。就職、結婚などの年を元号で表すことで、自分の人生が天皇と結びつけられ、巧みに支配されるわけです。
◎また安息日規定は、十戒の中で唯一、守り方を示しています。<六日間は労働し、七日目はいかなる仕事もしてはならない>とあります。しかも7日ごとのリズムをもたらしただけでなく、<あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、寄留者も休む>というものでした。これはじつに大きな恵みでした。
 イスラエルの民は、古代エジプト帝国で果てしない奴隷労働のもとにありました。彼らだけでなく文明社会はすべて奴隷制を生み出し、無限の労働時間を強いられていました。そういう中にあって安息日は衝撃的でした。
 イスラエルの民は、やがてエジプトを脱出して、カナンの地の定住をはかりますが、遊牧民として周辺で安息日を守りながら生活しました。7日ごとに休み、奴隷も寄留の民も休みが与えられ、礼拝に集まり、歌をうたい、踊り、祈り、神の掟に従って、喜びあふれながら生活する彼らを、軍事力と王が君臨する都市国家に支配されていた人々は、驚きの目で見ていたのです。
 カナンに定住するためにイスラエルの民が武力で次々と占領していったと言われていますが、そうではありません。彼らは、やがて子孫が住むようになるであろう約束の地としての設計図は持っていました。軍事力によって征服するのではなく、周辺の地で遊牧の生活をしながらも、喜びと感謝をもって安息日を守り続けました。だから自ずから周辺の人たちも加わるようになり、イスラエルの民となっていったと思われるのです。
◎ユダヤの有名なことわざに、「ユダヤ人が安息日を守ってきたよりも、安息日がユダヤ人を守ってきた」というのがあります。ユダヤ人は、彼ら自身が堕落して、神にそむき、偶像を拝み、その裁きとして、大国に支配され、捕囚にされて、安息日を守れないことはありました。しかし、どのような時代になっても自分から安息日を破ることはありません。それが彼らの存在を守ってきたのです。
 また安息日厳守が、彼らの歴史認識を育て上げました。それは神中心の歴史認識です。<六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである>という言葉は、明らかに創世2章2~3節の言葉です。つまり彼らは、安息日の歴史は十戒で定められたときに始まったのではなく、天地創造の際に神によって定められた時に始まったのであり、神がその模範を示されたと信じているのです。
◎しかもそれは具体的な歴史的出来事と結びついています。じつは十戒は申命記の5章6節以下にも書かれていて、出エジプト記の十戒とほとんど同じです。ところが12節以下に安息日の掟が書かれていますが、その15節はまったく異なっています。<あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである。>
 つまり安息日は、単に安息日を覚えるのではなく、「七日目の休み」と「エジプト脱出」を覚える日なのです。前者は、1週間に1度休んで労働から解放されることであり、後者は、奴隷身分から解放されるためにエジプトを脱出したことであり、どちらも「解放される」という点で共通しています。まさに安息日は「解放」を意味する特別な日であって、人間関係や経営や勉強やさまざまな仕事から解放され、リフレッシュする日なのです。
 安息日は金曜の夕方から始まります。午後2~3時ごろには仕事を切り上げ、準備に取りかかり、日没前に祝福の祈りが捧げられて安息日が始まります。食事や一家団らんのあと床につき、夜が明けて土曜日の午前9時ごろ礼拝が始まり、一日をゆったりと過ごした土曜日の日没のおよそ20分後に安息日は終わります。これが普通のユダヤ人の安息日の過ごし方だと言われます。
◎しかし私たちは、私たちをあらゆる束縛から解放するために、安息日というすばらしい恵みの掟を定められた永遠の時間にある神が、もっとすごいことを計画されていたことをすでに知っています。それは、私たちをあらゆる束縛から、とりわけ罪と死の束縛から解放するために、愛する御子イエス・キリストとしてこの世界に来られたということです。
 ところが彼は、ご自分の民のところへ来たのに、民は彼を受け入れませんでした。しかし彼は、ご自分が安息日の主であることを身をもって示されました。すなわち彼は、安息日とは、①あわれみを示す日(マタイ12:7)、②善いことをする日(マタイ12:12)、③命を救う日(マルコ3:4)、④男性、女性、動物を肉体的、霊的な束縛から解放する日である(ルカ13:16)と語って、そのことを身をもって具体的に示されました。
 しかし彼はご自分の民にねたまれ、侮蔑され、憎まれ、十字架にかけられて殺されてしまいました。彼が捕縛され、連行されたのは木曜日の夜です。開けて金曜日の午前9時に十字架につけられ、午後3時に息を引き取られました。まもなく安息日に入る直前に墓に葬られ、金曜日の夕方から土曜日の夕方まで、つまり安息日の間彼は墓に横たわっていたのです。すばらしい恵みの安息日の時、イスラエル全土は暗い闇に覆われ、すべての人々が沈痛の思いで過ごしたはずです。
◎そして先ほどお読みしたマルコ16章1節です。<安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。>つまり安息日が終わるのが土曜日の夕方ですから、彼女たちは土曜日の夜に香料を買いに行き、夜が明けるのを待ったのでした。そして2節には、<週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った>とあります。つまり日曜日の朝早く日の出と同時に墓に行ったのでした。そして墓は空でした。神がイエスを死者の中から復活させられたのです。
◎イエスの復活は、安息日ではなく「週の初めの日」つまり日曜日に起こりました。そして復活したイエスは、週の初めの日に引き続き姿を現されます。また聖霊が降ったり、ヨハネがパトモス島で啓示を受けたことなどから、週の初めの日すなわち日曜日が特別の日と考えられるようになります。やがて定期的に集まるようになり、さらに礼拝も行われるようになりました。つまり初代教会においては、土曜日を休みと解放をもたらす安息日として守り、日曜日を主の復活を祝う日としていたことが使徒言行録20章7節や第1コリント16章2節などから分かります。
◎ところがキリスト教がローマ帝国の国教になり、ニカイア公会議(325年)の決定によってクリスチャンが安息日を守る習慣を否定するようになります。そのためユダヤ的なものが教会から切り離されて、教会の祝日や礼拝に異教的なものが入ってきました。こうして天地創造の時に安息日が定められたことや出エジプトにおける奴隷解放の出来事といった永遠の神の壮大な計画が理解されなくなっていくと、キリスト教は世の宗教と同じようなものに変わっていきました。このことは日本のキリスト教も例外ではないのです。
 これについてパウロは、コリントの教会に彼が伝えた福音とはべつのものが入り込んできて惑わされていたのを見て、「ほかの福音」とか「異なる福音」とよんで批判をしながら、次のように語っています。<ほかの福音といっても、もう一つの福音があるわけではない>と言って、<イエス・キリストの啓示によって知らされた福音を、私はあなたがたに告げ知らせたのです>(ガラテヤ1:11~12)。私たちは日本の中で、また日本の教会の中でクリスチャンとして生活していますが、パウロが語るキリストの福音を知らされていることを感謝したいと思います。

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