2022年11月20日 聖書:マルコによる福音書10章46~52節「何をしてほしいのか」楊周漢(ヤン・ジュハン)牧師

 ご一緒に神様の御言葉を黙想しましょう。
 私たちもバルティマイが経験したような奇跡を経験したいと思います。
自分の目の前にイエス・キリストが現れて「何をしてほしいのか」と聞いて下されば良いな、と思います。
私たちはどのような願いや希望を持っていますか。
 46節のバルティマイの現状況は「盲人として道端に座っている」と記録しています。道とはある目的地に進むために作られたものですが、バルティマイは進むことができずに道端に座っています。ここで私たちは自分の人生と比較しながら何を黙想できるでしょうか。私たちもしばしば進む道が見えなくなってしまう状況にぶつかります。
 その時、私たちは叫ぶ(呼び求める)相手を持っていますか。...バルティマイは叫ぶ(呼び求める)相手を持っていました。それは「ダビデの子イエス」でした。ダビデの子イエスとは預言者たちが伝え続けた「真の希望の名前」です。
絶望の状況にもかかわらず、呼び続ける「真の相手」を持っている人は幸せだと思います。
 私たちは教会を通っていますが、誰を又は何を呼び求めているのでしょうか。もし叫び続けるのを辞めているのではないでしょうか。いつも心の中には寂しさと虚しさが茨のように刺しているにも関わらず、ただ無表情で我慢しているしかできないと考えているのではないでしょうか。
 実は、主イエス・キリストは、バルティマイを呼んだように、今日、私たちを呼び続けていらっしゃいます。「あの人を呼んできなさい」!心(たましい)の叫びを抱いているにも関わらず、どうしたら良いのか分からないまま、いまだにイエスキリストと遠い所で離れている私たちを、ご自分のすぐ側に呼んでいらっしゃいます。それは私たちと話し合いたいからです。
「何をしてほしいのか」!主イエス・キリストは、私たちの本当に願うものが何であるのかを聞きたがっておられます。誰でも聞いてくれなかった私の奥深いところにある本当の願いを「そのまま話してごらん」と主イエスは話しかけておられます。世の中の人々は「叱りつけて黙らせようとした」のですが、イエス・キリストは「一緒に話し合いましょう」「私があなたの話を聞く」と私たちをご自分のすぐ傍に呼んでいらっしゃいます。
 結局、バルティマイは目が明け、見えるようになりました。そして今までは「道端に座っていた存在」が、「道を進まれるイエスに従う存在」に変化しています。これが真の奇跡です。

聖書のお話