2022年12月18日 聖書:コヘレトの言葉17~18節「何が力になるか」豊田 護兄

 先日の炊き出しのボランティアの時、私はマスクの束を作っていました。すると食事班の人が、「この寒い中、裸足の人がいます。靴ないですかね」とやって来ました。何気なく「向こうの毛布や防寒着の所にあるのでは」と答えました。実際あったみたいでした。でも後でふと考えました。もしなかったらどうしたろうか、自分の靴を脱いでその人にあげることができただろうか。自分はここで誰の為に何をしているのだろうか。

 頭で理解していても、何も力に力にはなりません。苦しい人や厳しい生活を強いられている人に寄り添うとは何でしょうか。「理解」するのではなく、その心を「感じる」ことが大切なのでしょう。もしきちんと感じていれば、自分の靴を差し出すことができたのではないかと思いました。教会に来初めて60年を過ぎようとしています。今まで何を学んできたのでよう。自分のふがいなさをいやというほど感じました。

 知識や聖書の理解では、いざという時力にならないということを強く感じ反省した体験でした。いざという時に、私はすぐに自分の靴を脱げる力が欲しいものです。どうしたらいいのでしょう。その一つの答えが、「豊かな知恵や知識」よりも「豊かな感性」を身につけなけると言う
事かもしれません。もう一度しっかりと考えなおさなければなりません。

聖書のお話