毎朝犬の散歩で海に行きます。そこで犬を放します。すると彼は生き生きと嬉しそう走りだします。「自由」ですから。
「自由」とは、何者にも縛られずに生き生きと生きることなのではないでしょうか。
この聖書が書かれた時代では、真理を知ることで律法やユダヤ教や様々な宗教の縛りから解放されることにより、自由になると述べているのでしょう。では現代では何から解き放たれ自由になるのでしょうか。
神は「私はある」すなわち「生きる」ということだと述べています。谷川俊太郎さんの詩に有名な「生きる」いう詩があります。昔は6年生の国語の教科書にありました。
生きる 今生きているということ
すべての美しいものに 出会うということ
そして かくされた悪を
注意深くこばむということ
とあります。かくされた悪とは何でしょう。
先日夜中に朝鮮戦争のドキュメンタリーを見ました。GHQの指示で多くのA級戦犯たちが解放され、その中に岸信介がいまいた。勝共連合の為に文鮮明と握手していました。それがずっとつながっているのです。なぜ今頃それも夜中にしか放送しないのでしょうか。
アベノミックスは失敗し経済はひどいことになり、格差と貧困が広がりまいた。でも決して間違えだとは言いません。原発はどうでしょう。あの震災から何を学んだのでしょうか。他にも「隠された悪」は沢山あります。注意深くこばばなければなりません。
そうするが「自由」への一歩になるのでしょう。
最後に谷川さんの作った「立川市立幸い小学校の校歌」を
わたしが たねをまかなければ
はなはひらかない
ぼくが あしをふみだすとき みちはかぎりない
じぶんでかんがえ じぶんではじめる
幸小のわたしたち
わたしが あすをあきらめたら
あさはもうこない
ぼくが ほしをみつめるとき そらはかぎりない
あせらずこつこつ ねばってやりぬく
幸小のわたしたち
ひとりが うたをうたいだすと
こえはこだまする
ひとりひとりてをつないで ゆめはかぎりない
みんなでなかよく ちからをあわせる
幸小のわたしたち