2023年3月19日 聖書:ローマ信徒への手紙20~21節「解放への希望がある」川本良明牧師

◎最後の食事の時、イエスは弟子たちの足を洗い、<私がしていることは、後で分かるようになる>と言われました。たしかに彼らは分かるようになりましたが、それは、彼らが大胆に福音を伝えるようになり、同胞たちから会堂を追い出されて生活の基盤を失い、これまでの価値観と生き方の転換を迫られたときでした。しかも彼らが分かったのは、単に「汚れた足を洗った」ことではなく、僕の姿となったイエスの姿がありありと浮かんできたということでした。そして彼らは、主キリスト・イエスを通して示された神の愛を知って、新しい生活を始めたわけですが、彼らを立ち上がらせたのは永遠の神であって、この神は聖霊として、今もかつてと同じように世界で働いておられます。このことをあらためて考えてみたいと思います。
◎昨年12月に関田寛雄先生が亡くなられました。在日韓国・朝鮮人に対する差別の問題に生涯関わった方ですが、その背景に、日本の敗戦に挫折し、聖書との決定的な出会いがあったことを、彼自身が次のように語っています。
〔父親が教団小倉東篠崎教会の牧師だった1928年に生まれた私は、小学校5年のとき、近くの神社で「アメリカのスパイの子だ」と言われて数人の少年たちに暴行を受けました。牧師の子に生まれたことを恨み、また日本でクリスチャンであることは怖いことと思うようになった私は、人一倍日本人的になろうと軍国少年になりました。ところが敗戦となって、キリスト教ブームが起こり、ついて行けなくなって、礼拝出席を拒否し続けました。見かねた友人が別の教会を紹介してくれたのがホーリネス派の教会でした。そこは破れた座布団に座って礼拝を守る貧しい教会でしたが、弾圧で入獄の経験をした牧師が、「どんな時代になっても変わらない真理は、聖書にこそある」と叫ぶ声を聞いたとき、心が揺さぶられ、家に帰って、病床にあった父親に初めて真剣に向かい合って、「聖書のどこを読んだら、時代が変わっても変わらない真理があるのか」と問いました。すると父親は起き上がって、詩篇51編を一緒に読んで、ダビデの罪と悔改めの物語を語ってくれたのでした。この時、12節の<神よ、私の内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください>という言葉は、自分の祈りのように響いてきました、そして<もしいけにえがあなたに喜ばれ、焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら、私はそれをささげます。しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません>(18~19節)を読んだところで、敗戦の価値の転換の中で、何もかも失ってずたずたに破れた自分の打ち砕かれ、悔いる心をこそ神は、侮ることなく喜び迎えられるという言葉に打たれて、初めて涙を流しました。〕
◎関田先生と同じように皇国少年少女だった人が、日本の敗戦で不信感に突き落とされて、聖書との決定的な出会いを体験した人の何人かにお会いしてきました。在日大韓小倉教会牧師だった崔昌華先生や沖縄の平良修先生や先日来られた川崎の宋富子長老を思い出します。しかしその頃少年少女だった彼らとちがって、それよりもずっと以前にクリスチャンまた牧師だった人たちはどうだったのだろうか。子供たち以上に苦しんだのではないかと思うのです。
◎例えば関田先生の父親の関田寅之助牧師は、1910~1915年に朝鮮の仁川教会の牧師として活動した人です。1910年は日本が日韓併合して朝鮮総督府を置いて朝鮮を憲兵警察による武力支配を強行し始めた年ですが、日本の教会は牧師を宣教師として送り込んで活動するわけで、その一人に関田牧師がいました。ですから彼は牧師として皇国臣民の道を熱心に歩んだ人でした。その彼が戦後、刑務所の教誨師となり、出所した被差別部落民の今井数一さんを数週間面倒を見ました。今井さんは、きびしい差別による言語を絶する苦しみと悲しみの中で、世を恨み、人を恨み、神仏を恨み、自分自身を恨んでいました。その彼から「神がいるなら、なぜ俺はこんな目に遭わねばならないのか」と激しく迫られたとき、関田牧師はどうしていいか分からず、ただ神に祈って求めて示されたのがイザヤ2:22の言葉でした。<人間に頼るのをやめよ。鼻で息をしているだけの者に。どこに彼の値打ちがあるのか>。この言葉を聞いた今井さんは、一瞬呆然となり、言葉を失いました。この言葉は、それまでのものの見方、生活の流れを断ち切るものとして今井さんに迫ってきました。「人間に頼ることをやめよ」とは、人間に対する絶望です。そこから彼は、十字架のキリストにおける希望へと大転換していきました。「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」というキリストの叫びは、ほかならぬ彼のために、彼に代わって叫ばれた主の叫びでした。それから彼は、キリスト信仰の道に入り、関田牧師から洗礼を受け、部落解放のために生涯を捧げ、教団の部落解放センターの創始者にもなった人です。
◎戦前の価値観を根本から問われたキリスト者のことを思うと、戦前のキリスト教のことを考えざるを得ません。1890年に教育勅語が発布されると、子供たちは学校で徹底的に教え込まれました。そしてそれは、その後に繰り返された戦争の体験によって血となり肉となり、日本人は確実に天皇の赤子となっていきました。この歴史的現実の中で日本のキリスト教は、皇室神道が語る神々を受け入れ、皇国臣民として実践することをキリスト者の使命としました。しかし同時にキリストの福音や聖書の教えも聞きまた語っていたわけですから、当時のキリスト者たちは、折り合いを付けるのに大変苦労しましたが、結局は妥協していきました。しかし敗戦後、少数ですが、これまで信じまた語ってきたことに苦しみ、価値観の転換を迫られたキリスト者がいました。関田寅之助牧師もその一人ではなかったかと思います。苦しむ息子の関田寛雄少年に詩篇51編を示すことができたのは、息子以上に苦しみ、御言葉によって決定的に変えられていたからだと思うからです。
◎それでは、敗戦の時に軍国少年少女だった人たちよりも後にキリスト者また牧師になった者たちは、どうでしょうか。それが私たちだと思うのです。私たちもまた別の苦悩を背負ってきたのではないでしょうか。なぜなら、戦前の聖書理解、神学、福音理解を継承している教会において、キリスト者となったのですから、聖書の言葉や福音理解などと格闘せざるを得ないと思うからです。数年前にある人が私のことを、「彼は素直に楽しめない、喜べない。楽しむことにブレーキがかかり、心の中で何か申し訳ないという気持ちが働くのではないか、自分だけが楽しむことが悪いことだという気持ちが働くのではないか」と鋭く指摘しました。すると別の人が、「いや、それは彼だけの問題ではない。クリスマスやイースターを心から喜べない教会員を大勢いるのを見ると、同じことが言えるのではないか」と言われました。
◎他人はともかく私は、幼児期まで遡らざるを得ないと思いました。3歳の時が敗戦でしたが、乳幼児の頃、両親はどんな体験をしていたのか、それが私にどのように影響したのかを考えました。そして私は4歳の時、突然、物凄い恐怖に襲われました。「死の恐怖」と表現はしていますが、とにかくそれから逃れようとして、楽しいことを思うと、パッと消えて、どんなに思い出そうとしても思い出せないのです。日常的には何の支障もないのですが、突然、襲ってきて、もがきながら楽しいことに目を向けるとパッと消える。不定期にこれが繰り返されてきました。つまりどんな楽しさも飲み込んでしまうのが究極的には死です。その死と楽しさがコインの裏表であるため、楽しさのブレーキとして働いてきたのではないかと思うのです。
◎私は教団創立の一年後に誕生しました。日本がミッドウェーの海戦に敗れて敗戦に向かい始めた年です。そして青年時代に聖書に出会い、20才の時に洗礼を受けて教団の教会の信徒となりました。そして教団の歴史を知っておどろきました。教団は1941年に日本の諸教派を統合して成立しましたが、聖書ではなく教育勅語に、神の律法ではなく皇国臣民の倫理に重心を置いていました。まさに主の第一戒を破り、当時の国家の政策に積極的かつ主体的に協力していきました。敗戦後22年の1967年に「戦争責任告白」を出しましたが、第一戒を破ったことを悔改めないで、異なる福音、異なる律法を内包したまま教会は活動しているのです。そういう教会の中で、本当の真理、本当の福音を求めて苦闘することは、本当の喜び、希望、私自身のいわゆる「死の恐怖」からの解放を求める作業でありました。
◎幼児期に始まる「楽しさと死が裏表」という苦悩は、60歳近くまで続きました。そして主キリスト・イエスを通して示された神の愛にふれて、私を襲っていた恐怖は、実は私を造り主のもとへ導くために神が、私の心の扉を叩いていた掟であると知りました。<実は罪がその正体を現すために、善いものを通して私に死をもたらしたのです。このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした>(ローマ7:13)とパウロも語っています。「死の恐れは神からのノックである」ことが示されて、その苦悩から解放されたのでした。
◎困難、試煉、罪への誘惑は避けられません。年齢と共に物忘れがひどくなり、思い出せないことが多くなりました。これを医学では認知症といいますが、要するに惚けです。じつは惚けると惚れるは同じ漢字です。そのことで教えられるのは、肉なる私は惚けながらも、私の内にある聖霊に惚れることが許されているということです。自分の名前さえ忘れてしまうのではないかと不安になりますが、しかしこれは親から付けてもらった名前であって、私の本当の名前は、神のもとにある記録簿に記されているのです。つまり神さまこそ本当の私を知っているということです。何もかもはげ落ちて、失われていき、本当の私が露わになり、幼な児に戻っていくことは恵みです。イエスは「神の国は幼な児のようなものたちのものである」と言われています。イエスが来られたとき、マリアは嬉しくてイエスから離れませんが、マルタはイエスを喜ばそうと心を奪われていました。惚けて天国が見えてくるならば、それは神を惚れることへの招待状です。そのことに感謝したいと思います。

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