2023年4月30日 聖書:ヨハネによる福音書20章24~29節「トマスの疑い」茶屋明郎牧師

物事を理解するときに、いいなりにならず、うのみにせずに、自分の目で確かめ、理性を働かせて、考えることが大事になります。
 ただ、人間の理性や力には限界があり、どんなに考えても理解できない事柄があり、その一つがイエスの復活の出来事であると思います。
 トマスは、他の弟子たちから、「復活したイエスを見た」という証言を聞いても、疑う他の人たちと同じように、それは弟子たちの錯覚であり、ただ心によみがえっただけだと判断して、理解できずに、自分の目で確かめられなければ、信じないと言っています。
 このトマスに、主イエスは、「信じない者にではなく、信ずる者になりなさい。見ないで信ずる者は幸いである」と仰って、復活は理性を超えた事柄であり、理性では理解できないし、信ずるしかないし、信ずることによって、壁を乗り越えて、理解でき、新しい世界を見ることができ、豊かさや偉大さを自分のものにでき、喜びに満たされると教えておられます。
 ここで不思議に思うことは、主イエスが、ご自分の方から、疑っているトマスに近寄り、信ずる者になるようにと熱心に声をかけていることです。このことに、外の10人の弟子たちが信じているから、一人ぐらい信じていない人がいてもしょうがないと思わずに、みんな信じてほしいという、主イエスの強い思いが感じられます。
 なぜなのかというと、それは、復活を通して現れている神の国の実現を伝える使命に必要な人がただ信ずる者であり、信ずる者を遣わして、神の救いの業を実現していくというみ心があるからです。だから、主イエスは、必死になって、信ずる者になりなさいと強く訴えています。

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