マルコによる福音書4章は、種まきのたとえ話で始まり突風をしずめることで終わる。そこでは信仰とは何かが問われている。26節から29節までは、農夫は蒔かれた種に何もしない。ある面では、忍耐強い農夫がいるだけだ。
神は彼に何も要求しない。だのに種は実を結び、彼に収穫の喜びをもたらす。イエスの時代、ゼーロータイ(熱心党)がいて、ローマ帝国に対して反旗をかかげ、神の国を実現しようとした。マルコはこの逆の生き方を示したと解釈する人がいる。
それは、神の国は愛の国だということだ。決して力の国ではない。神は断固として種を蒔かれた。それは必ず神の国が達成されるものとしてである。それゆえ我々は神に先んじて何かをしようとはせず、神に全幅の信頼をもって、委ねなければならないということであろう。
しかし、人間にとって愛とは何だろうか。我々は必ず死ぬ存在である。それは愛する者を失うことでもある。よって、「誰かを愛するということは、いつも悲しみを育てていることになる。」とある人は言った。
はたしてそうであろうか。人生の最後は、死で決まってしまうのではない。生きてきた時間の中で、一度愛を経験した者は、そこから新しく生きる希望を見つけ出すことができる。信仰というのは、神の時が来るという強烈な神への信頼なのである。
「愛し、そして喪った(うしなった)ということは、一度も愛したことがないよりも、よいことなのである。」(イギリスの詩人テニスン1802~1892)
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