2023年8月6日 聖書:ルカによる福音書12章49~53節,ゼカリヤ書9章9~10節「偽りの平和か真実の平和か」川本良明牧師

◎1945年8月15日の敗戦から78年経った今も、戦争の傷跡は癒されないままです。日本基督教団は8月第一主日を「平和聖日」にしており、あらためて「戦争と平和」を考えたいと思います。
 日本基督教団は1967年3月26日イースターに、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」いわゆる「戦責告白」を教団議長名で公にしました。これをイースターに議長名で出したのは、1944年のイースターに、教団統理名で「日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰」を出したことを打ち消すためでした。「戦責告白」を読むと「政府の戦争遂行…の国策に同調した」「世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞に対して為すべきことをしなかった」など、戦時下において教団の犯した過ちを、心から謝罪し、神と隣人にゆるしを求めるトーンで貫かれています。
◎これを作成した人たちは、敗戦時に20~30代であり、戦後22年経っていますが、時代的な制約を負いつつも聖書に聞き、鋭く問われながら誠実に応えようとしました。そのおかげで、これを高く評価する国内外の教会から和解の手が差し出されてきて、在日大韓基督教会や韓国の教会やフィリピンや欧米諸国などとの交流が始まり、その交流は現在までずっと続いています。
 しかし出された当時、教団内部から、「教団を守るために努力した人たちを責めている」とか「総会ではなく議長が出したに過ぎない」といった反発がありました。こうした反発は論外だとしても、私たちは、真の平和のためにこれを正しく継承し、その時代的な限界を越えて、より深めていく責任があると思います。
◎この告白を一般に「戦責告白」と呼んでいるように、「戦争に協力した責任の告白」であり、それを「教団の名において犯したあやまち」としています。しかし、なぜ教団は戦争に協力するに至ったのか、その原因を聖書に聞きたいと思います。
 <このように彼らは主を畏れ敬うとともに、自分たちの神々にも仕えた…、これらの民は主を畏れ敬うと共に、自分たちの偶像にも仕えた>(列王記下17:33、41)とあり、また<屋上で天の万象を拝む者、主を拝み、主に誓いを立てながら、マルカムにも誓いを立てる者>(ゼファニア1:5)とあります。これはアッシリアに滅ぼされた北イスラエル王国の姿を伝えるものです。
 つまり主なる神を捨てて他の神々に仕えたのではなく、主なる神と並べて他の神々にも仕えたのです。しかしそれは結局、<誰も、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方を親しんで他方を軽んじるか、どちらかである>(マタイ6:24)とイエスが言っているように、主なる神を捨てて神々を拝むことになったのであり、これが教団の犯したあやまちだったのです。
◎しかもこれは全国レベルの話ではなく、地方の教会の姿でもありました。たとえば若松浜ノ町教会は、1897年に創立しましたが、創立3年後の1900年5月10日付の記事に、「教会にては本月十日午前九時一同教会堂に集まり皇太子殿下の御婚礼を奉祝せんが為め左の順序に依り厳粛に祝賀式を執行せり」とあり、司会者名、君ヶ代の斉唱、詩篇の朗読、祈祷・感話が記されています。
 1894~95年の日清戦争に大勝利した日本は、国産鉄鋼の生産をめざして八幡製鉄所の建設を決定した年に若松浜ノ町教会は創立しました。1890年に教育勅語が発布されてわずか10年後、すでに教会は神を敬いながら神と並べて天皇を敬っています。結局、神を捨てて天皇を拝むことになったのです。
◎この教会はメソジスト派ですが、他の教派も天皇崇拝に関しては同じ状況でした。ですからこれら諸教派の教会が政府の要請に応えて日本基督教団として合同したのは、それから半世紀も経たない1941年でした。その3年後の1944年7月、米英との無謀な戦争下の中で東京の基督教総決起大会が開かれ、「主ヨ立チ給エ。…決定的勝利ヲ獲テ八紘為宇ノ精神ヲ実現シ、以テ神ノ国ノ基礎ヲ築カシメ給エ」と必勝祈願文を読み上げ、また8月には「此ノ時ニ当リ皇国ニ使命ヲ有スル本教団ハ皇国必勝ノ為ニ蹶起セヨ、断乎驕敵ヲ撃摧セヨ」と日本基督教団決戦態勢宣言という檄を飛ばしています。当時のキリスト者は率先、戦地に赴き、敵殲滅のために一命を投じることを信仰に生きる者の本懐としていました。
◎こうした中で教団は、先ほど紹介した「日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰」を日本の支配下にある朝鮮・中国ほか諸外国の教会に出したのです。その冒頭の挨拶の終わりで、「予は二千年来伝え来たった使徒的挨拶をもってこの序文を終わる。願わくは、主イエス・キリストの恩恵、神の愛、聖霊の交感、汝らすべての者とともにあらんことを」と祝祷しています。
 皇国臣民として、大東亜共栄圏建設のためにキリスト教信仰をもって率先して国のために尽くしている自分たちこそ使徒的教会であると思っているのです。実に恥ずべきごう慢な姿勢であるばかりか、自らの根本的な過ちに無自覚でした。その過ちとは、「あなたは私のほかに、なにものをも神としてはならない」という第一戒を破ったことであり、その当然の結果として戦争協力に至ったのです。
 だから教団は、戦争に協力した責任を世の人々に向かって告白する前に、まず何よりも神に対して犯した罪を神と人の前に告白しなければならないのです。
◎プロテスタント・キリスト教の日本上陸は、1853年、ペリーが日本に来たときです。乗船していた宣教師たちと日本人が出会って約20年後の1872年、横浜に初めて教会が建ちました。ところが江戸幕府を倒して新政府を建てた人々は、このころ着々と国家神道の基礎固めを進めていました。
 彼らは古代天皇制の復活を目指して天皇を京都から江戸城に移して皇居とし、広大な敷地に賢所、皇霊殿、神殿という宮中三殿を建立しました。そして天皇の軍隊作りとして徴兵制度と軍人勅諭を発布し、国民の時間を支配するために元号を制定し、また国民の祝日を皇室神道の祭りと結びつけていきました。
 そして何よりも全国の神社を皇室神道を普及する機関とし、神道は宗教ではなく国民儀礼であるとしたことは諸宗教の活動にとって決定的な打撃となりました。教会もこれを受け入れ、自ら神社を参拝するだけでなく、後には朝鮮の教会にも神社参拝を勧めました。その結果、50名以上の朝鮮のキリスト者たちが朝鮮総督府の権力によって殉教死させられたのでした。
◎こうして新政府樹立から約20年後の1889年、大日本帝国憲法が発布され、翌年には教育勅語が発布されました。つまりこのときすでに日本は、皇室神道を国教とする国家神道の基礎固めが終わっていて、これからは戦争によって国家神道を本格的に血肉化する段階に入っていたのです。
 この歴史的経過の中で教会が受けた深刻な問題は、現在までひきずっています。それは皇室神道がもっている根っこを批判し、乗り越えていないためですが、その深刻な問題とは、聖書の読み方、説教の内容、キリスト者の生活のあり方などの全領域にわたっているものです。
◎皇室神道は、日本書紀と古事記が伝える神話を基にしていて、その神話がそのまま現代にまで持ち込まれていて絶大な影響を与え続けています。その神話に出てくる神々は「宇宙を造った神」ではなく「宇宙が造った神」であり、自然界のすべてに宿っているとされ、現れてはぱっと消える神々が描かれています。しかしその神々の中で日本列島を造った神は、天照大御神を生み、天照大御神は孫を地上に降らせ、その曾孫(6代目)が最初の神武天皇です。その126代目が現天皇であり、日本は切れ目なく1つの王朝が続いている世界に例のない素晴らしい国であるとして、これを「国体」と呼んで特別視しているわけです。
◎神武天皇が最初の天皇である意味を元号から考えることは大変重要です。元号は天皇即位から数えます。昭和20年の誕生とは、昭和天皇即位から20年目に誕生したことを意味し、昭和45年の結婚ならば昭和天皇即位から45年目に結婚したことになります。つまり昭和天皇によって自分の人生を決めているわけで、元号によって時間を支配されているわけです。
 ところで神武天皇の元号は皇紀と呼ばれ、神武天皇即位から2600年目は皇紀2600年となります。これは西暦で言えば1940年であって、この年、「皇紀2600年万歳!」と全国を挙げて建国記念を祝いました。全国の諸教派教会も同じように祝い、その勢いに乗って、翌年の6月に日本基督教団を成立させたのです。そして日本は、この年の12月に日米開戦に踏み切ったのです。
◎このことを考えると、当時のキリスト者は、聖書の歴史観を皇室神道の歴史観に置き換えていたのではないかと思うのです。当時の説教の内容を見ると、聖書の言葉を使いながらもその内実は皇室神話なのです。だから大東亜共栄圏建設のためにキリスト者として尽くすという歴史認識に立っていたのです。
 第一戒を破った神に対する罪の結果、転倒した神の救いと恵み、聖書を解き明かす説教は、平和どころか敵愾心をあおり、率先して戦争に協力していくことになッたのが当時の教会でした。この信仰の数多くの先輩たちは、戦後になって大変苦しみました。けれども当時は苦しむどころか率先して協力していった信仰の先達を見ながら、私たちはあらためて真の平和を願うことが求められています。
◎預言者ゼカリヤは、外国の支配下にありました。彼が神から与えられた言葉は、あまりにも現実からはかけ離れた内容でした。しかしその中にありながら、「神に勝利を与えられた平和の王が、子ろばに乗って来る」ことを神から示されて預言しました。彼はこの言葉を与えられたとき、現実はそうではないが神によってすでに平和は実現したのだと信じ、人々に語ったのでした。
 それはちょうどノアが箱舟を山の麓では造り、人々から嘲笑されながらも洪水が来ることを予告し、共にそれに備えることを訴えたように、ゼカリヤも神の言葉を語ることがどんなに辛いことであったかと思います。ところがそれから200年後、イエス・キリストが子ろばに乗った王として来られたのでした。
◎イエスは、本当の平和の火を地上に投ずるために来たと告げました。そして自分は十字架の苦しみを受けなければならないが、それが終わるとき、地上に本当の平和が実現すると言われました。イエスが「地上に平和を」という言葉と同時に「父と子、母と娘、姑と嫁が対立する」と語っているのは、国や世界などの広い領域と同時に家族という最も身近な領域においても、本当の平和をもたらすために十字架の死の苦しみを味わうのだと語っているのです。
 つまり私たちは、国と国、人と人との平和を祈る前に「自分との平和」を求めるように勧められているのです。イエスは山上の説教で、<平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれるであろう>と言われていますが、これは「平和を作り出そう」と声を上げる前に「私を信じなさい。そうすれば私があなたがたを神の子と呼ばれる者とするから」と約束しているのです。
 天皇制のもとにある日本は今なお奴隷国家です。最近5回にわたって「やさしい猫」というドラマがテレビでありました。日本に在住するスリランカの男性と日本の女性が結婚する話ですが、現在の入管制度をもたらしている法制度が外国人に対してどんなにひどい状況にあるかの一端を見事に描いています。最後は力づけられる内容で終わっていますが、なぜ日本はこのような状況であるのか、まさに天皇制を考えざるを得ないのです。
 この天皇制の下で奴隷国家である日本に生きる私たちは、確実に神の計画は実現されるとの信仰による忍耐が求められています。それは私たちにはできません。しかし神はおできになります。だからこそ聖霊の働きに委ねるように求められているのです。聖霊の実である真の平和を作り出すのは、聖霊であり、イエスご自身です。このイエスを土台にして本当の平和を与えられることを信じ感謝したいと思います。

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