2023年11月12日 聖書:マルコによる福音書1章1~14節「荒野で呼ばわる声」豊田 護兄

 人にとって「荒野」とは何のことで、どんな声で呼ばわるのでしょう。もちろん荒野では一人でしょう。人は荒野で一人で過ごすことで一人前になると、過酷な自然の中で暮らしている多くの人たちの間では考えられていました。アボリニジーやアイヌの人々や、砂漠やチベットのひとたちは、塩とか物を運ぶ厳しい旅を通して一人前になります。それに代わり現代私たちが学校で知識としてそれを身に着けようとしています。それは、本当の生きる力になるのでしょうか。学校はいつもみんなと一です。私たちは本当の意味で一人で考え行動するという体験があるのでしょうか。

 先日福岡市民会館に久しぶりにいきました。50年前200回以上この舞台に上がり演奏をしていました。オーケストラの管楽器奏者は一人です。誰も助けてはくれません。パーフェクトに演奏して当たり前で、それ以上のパフォーマンスが要求されます。ギャラをもらうとはそういうことです。今の時期は毎日それが続きくたくたになります。今でも夢に出ますから、相当なものです。それが5年は続きました。そして今の自分の基礎を作った気がします。自らの技術だけをたよりに、毎日を過ごす練習の毎日でした。今考えると、私にとっての「荒野の声」の様な気がします。

 大切なのは、一人で立ち向かうという生き方で、仲間がいなくてもすべてを受け入れ、信じたことに立ち向かうことでしか、「荒野で呼ばわる声」は聴こえないのかもしれません。
 

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