2023年12月31日 聖書:マタイによる福音書6章26~34節「主が養ってくださる」樋口公子姉

私は今年生徒さんが沢山辞めました。やむを得ない理由もありましたが、私は生徒さんが辞める度に打ちのめされ、自分の至らなさに愕然とします。その愚かさに気づく時に自分の中で自己評価が下がります。自己評価は自分に対して感じる価値です。自己評価が低いとまず自分を大切にしなくなります。人から軽く扱われてもそれでも仕方がないと思うので、どんなことをされても甘んじてしまいそうです。でも自己評価を上げるには自分を大切に扱い、自分の尊厳を大切にし、大切にしてほしいという正直な自分の気持ちに蓋をせず、自分を尊重する意識を持つことが必要です。自分を大切にする事は、自分のために人にする、という事とは違うと思います。自分のために人にする時に、こんなにしているのに取られるばかりで何も与えてもらえない、つまり搾取されたように感じるものではないでしょうか。そうすると愛情を出し惜しみしたくなります。搾取されたと思うのはまだまだ人を愛する事に全力を尽くしていないからだと思うのです。そして大事な点は、何のために力を尽くすかという事です。相手のためではなく、自分のために、つまり反応がほしいためにするのではなく、その希望は持っていてもそれを強要しない、相手を思う気持ち、相手のためになることは何かを考えることが愛情だと思います。私はピアノを教えることに生活がかかっているので、打ちのめされては立ち上がりの連続です。でも本当は自分のために人にしていたということが分かっていませんでした。またそれは全力を尽くしていなかった自分に課題があったのです。生徒に対して自分の価値感でできるできない、良い悪いの目に見える事実を教え、強要するのでなく神様がこの子に大切なこととして与えようとされている計画を見て、指導するなら、その子に必要なものが見えてきて、何を大切に教えたら良いかが分かります。そうしたらその子の悪い面でなく良い面が見えることと思います。大切に思うこと、その愛情はけちるものではありません。同じように自分にたいしてもけちってはいけないと思います。自分はこれくらいでと安い自分で満足してしまう。全力でできるのに手を抜くこと。これ以上無理というところまでやっていないこと。このことが自分の自信のなさを生み出し、不安を生み出し、仕事の失敗に繋がっているのだと思います。コリントの信徒への手紙①9章24節にはあなたがたは賞を得るために走りなさいとあります。それは私たちが愛することに全力を尽くし、ネガティブな思考へ持って行こうとする力に妥協せず、自分の人生を最後まで生き抜くことであると思います。苦しみを乗り越えた先に素晴らしい神様の御計画があることを信じて走る。私たちはこの世の価値観では小さなものが与えられていたとしてもきっと満腹すると思います。生徒が辞める時、一番大きな不安は経済的な不安です。これからやっていけるのだろうかという不安にいつもさらされて生きているのです。しかし主が養ってくださる、それが信仰です。与えるために失うことを恐れない。与えよ、そうすれば与えられるとありますから。必要な物は加えて与えられるのです。神様は裏切らない。そのことを証しできる人生を送りたいと思います。

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