2024年2月11日 聖書:マルコによる福音書5章1~20節「霊について」大薮善次郎牧師

 昨年末に崎津教会へ行った。長崎天草地方の潜伏キリシタンとして世界遺産に指定されている。その資料館で二百年間の迫害をどのように生き抜いて来たのかを考えながら見ていた。どの家庭の玄関にも注連縄(しめなわ)が飾ってある。しかも一年中である。それは私の家はキリシタンではないということを示すものなのだ。
そうやって迫害する者たちを欺くためであったという。
 支配者たちは悪霊を持っている。その悪霊を赦す。そこでは、イエス・キリストを礼拝することは決してやめはしない。それを長いこと続けていく。これが潜伏キリシタンの信仰なのだ。相手の罪を赦すこと。これはキリスト教信仰の中心である。
 本日のテキストでは、イエスに出会った悪霊たちは、全て滅びる。だから悪霊たちは、イエスの出現に恐怖を感じる。なぜなら、悪霊たちは、人間から出ている霊だからだ。しかし、イエスは神から出る霊、すなわち聖霊なのだ。
 イエスを信じること、それは聖霊を身につけることなのだ。私たちは全て聖霊によって生かされているのである。何も恐れることはない。全てを神にゆだねて生きる。そこに支えられた人生の意味がある。
 聖書は不思議な言葉で書かれている。その一語一語に各人が意味をつける。そして、それは誤読であることが多い。ところが立派な書物にあっては、人々のおかす全ての誤読が立派なのだ。
 よって私は光の中を一人で歩んでいると信じるよりも、暗闇の中でイエスと共に歩んでいると信じる方が、より豊かな人生になると思うのである。私たちの先輩、潜伏キリシタンたちは、真の意味で勝利者であった。

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