2024年3月31日 聖書:マルコによる福音書14章66~72節「キリストの証人として生きる」川本良明牧師

◎受難週を終えて、キリストの復活を祝う日を迎えました。クリスマスが近づくといろんな所で賛美歌が流れます。受難週でもキリストの受難にちなんだ音楽が流れています。欧米の人は、このようなことを見て、日本ではキリスト教になじんでいると思うようですが、しばらくすると日本人の実際の生活を見ておどろくことになります。つまり仏教だろうと神道だろうとキリスト教だろうと、正月には神社に詣で、結婚式は教会で挙げ、クリスマスを祝い、亡くなればお寺で葬式をするからです。
 日本では仏教や儒教が入ってきても異質なものに変わってきました。それは日本の根底には神道という宗教があるからで、それは約1万年以上も続いた縄文時代に形成されました。日本に一早く伝来したのは仏教ですが、やがて神社と寺院は融合して神宮寺となり、内容も、実体は仏教が神道に飲み込まれた形としてですが、融合しています。
◎私たちは、天地万物は神によって創造されたものであり、人間は神によって創造されたと信じています。その信仰を告白するからこそ教会は、神道の神々も仏教の仏も人間が造り出した偶像であることを知っています。
 それらが金銀にすぎず、口があっても話せず、目があっても見えず、耳があっても聞こえず、鼻と口には息が通わず、手があってもつかめず、足があっても歩けず、喉があっても声を出せないものであることを聖書を通して知っています。またそれらを信仰の対象にして拝んでいるのが一般の日本人の宗教観であることも知っています。
 しかし、もしも教会が、これと同じ宗教観に立っているとすれば、イエスが種蒔きの話で話されたように、<そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると、根がないために枯れてしまう>ことになります。種は御言葉であり土地は神道です。
◎事実、日本の近代に伝来したキリスト教は、「神社は宗教ではない。神社参拝と天皇崇拝は日本人として守るべき国民儀礼である。この義務を果たすかぎり、心の中でキリストや仏をいくら信じても自由である」という国の政策に同調した結果、キリスト教も神道に飲み込まれてしまいました。キリスト者にとって「神社は宗教ではない」という論理は、自分の信仰と折り合いをつけるのに都合がよかったのです。つまり、ごまかしたのです。
 しかし、教会がどんなに不信実になろうとも神の信実を止めることはできません。天地万物を創造された神は、イエス・キリストとなってこの世界に来られ、私たちを教会に呼び集めて下さいました。今なお神道に縛られていますが、こんな私たちにキリストの証人として生きる人生の目標を与えて下さっている憐れみの神に感謝したいと思います。
◎その目標に生きるために今一度、招詞をお読みします。<天地万物よ、喜び歌え、主のなさったことを。主はヤコブを贖い、イスラエルによって輝きを現された>と預言者イザヤは語っています。主のなさったことを見すえて、天地万物も教会も喜び歌えと言っています。主のなさったこととは、神がご自分の御子を十字架に死なせ、復活させたことです。
 今日はキリストの復活を祝う日です。ところで先ほど歌われた特別讃美「カルバリの十字架わがためなり」とあるように、キリストの復活とその十字架の死を切り離してはなりません。彼の十字架の死と復活は1つです。復活のない十字架の死は絶望ですが、十字架の死のない復活はカーニバルであり単なるドンチャン騒ぎに過ぎません。
◎キリストが苦難の生涯を送ったのは、私たちのこの地上での一切の苦しみや困難を共にするための神の行ないでした。それが父なる神と聖霊なる神の意志だったからです。先週は受難週でした。皆さんそれぞれキリストの苦難を聖書を通して思い返したと思いますが、あらためて彼の苦難を5つに分けてふり返ってみたいと思います。
(1) 肉体や健康の苦しみ…キリストは肉において苦しまれました。彼は多くの痛みを負い、屠り場に引かれる小羊のようであったと預言されています。とりわけ朝9時に十字架に釘を打たれてから3時に及ぶまで、肉体の苦しみの中で息を引き取りました。
(2) 経済的な苦しみ…<狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所がない>と言われ、また<旅のために、つえ一本のほかには何も持たないように>と言われました。つえとは「神は最善のことをして下さる」というつえのことです。
(3) 人間関係の苦しみ…癌になる一番の原因はストレスだと言われます。そしてストレスを招くのは何といっても人間関係です。イエスは弟子たちに、<しかし、あなたがたは両親、兄弟、友人にさえ裏切られるであろう>と言われています。そして、イエス自身が、侮られ、裏切られ、悲しみを味わった生涯を送られました。
(4) 精神的な苦しみ…<人の子は必ず多くの苦しみ受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺される>と言われました。彼らは神に選ばれた民の指導者たちであり、メシアを待ち望んでいた人々です。当然自分たちの仲間であるはずの彼をあのように扱いました。彼らの仕打ちが与えた精神的な苦しみは想像を絶するものだったと思います。
(5) 霊的な苦しみ…神との関係・永遠との関係を霊的といいます。イエス・キリストは受洗した後、荒野に行き、四十日四十夜、神との関係を断ち切らせようとするサタンの誘惑を受けました。その後も霊的な苦しみを受けながら歩んで行きますが、最後は十字架の上で、<エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ>(わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか)と叫ばれました。それは神に捨てられたときの叫びであって、まさに霊的な苦しみの極みを味わわれたのでした。
◎このように私たちが受けるべきすべての困難や試煉を体験したキリストは、復活して、神の右におられ、聖霊として、いつでもどんな状況にあっても共におられます。神の右に座しておられるということは、どんなことがあってもその愛の業を妨げることはできないということです。このお方が聖霊として地上にいる私たちの所に来て、私たちの内に住んで、私たちが体験する困難や苦しみ、試煉をご自身が共に体験し、打ち勝って下さるのです。
 私たちはこの方の証人としての人生を送るように召されて教会に集められているのです。しかし、キリストの証人と言ってもなんとみすぼらしい私たちではないでしょうか。ところが神は、聖書を通してそのことを包み隠さず伝えて、私たちを招いておられます。それで先ほど読んだ聖書をもう一度見てみたいと思います。ペトロが三度イエスを知らないと言った個所です。

 イエスがエルサレムに入城したとき、人々から歓呼の声で迎えられました。それを見たペトロは、いよいよイエスがメシアとしての行動を起こされると期待していました。ところがどうも様子が違うのです。過越の食事のときイエスが言ったのは裏切りの予告でした。弟子たちは皆動揺しました。さらにイエスはパンを配って、「これは私の体である。食べなさい」と言い、また杯を回して、「これは私の血である。飲みなさい」と言いました。これは明らかに苦難を意味しています。それを聞いてペトロは面食らうばかりでした。
 そればかりかゲツセマネに行ったとき、「私は死ぬばかりに苦しい」と告げるイエスを前にして、これまでのイエスを知っていたペトロは、もうどうしていいか分からなかったと思うのです。まもなく彼が予感していたことが起こりました。イスカリオテのユダが真っ先に立ってイエスを捕らえに来たのです。ペトロは剣を抜いて斬りかかるとイエスからきびしく止められたため、手も足も出なくなり、一目散に逃げたのでした。
 しかし、思い直した彼は、最高法院の人々が次々と屋敷に入って行くのを張りつめた気持ちで見ていました。群衆に紛れて様子を見ていた彼には恐れはありませんでした。ところがその彼が恐怖に突き落とされました。それは女中の一人から、「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた」と声をかけられた時でした。彼女は単に、「あなたはあのイエスの仲間の1人でしょ?」と聞いただけあり、周りの人々も彼の身なりや言葉遣いから好奇心を持っただけかも知れません。しかし彼は、彼女の一言で恐怖に怯えたのです。最初は、「あなたは何のことを言っているのか分からない」と言います。もちろん分からないはずはありません。彼はイエスの仲間と見られることを恐れました。しかしいったん身を退くとどんどん身を退いていくことになります。三度目には「あんな奴、知るか。絶対に知らん!」と言い切りました。
 少し前、「あなたがたは皆私につまずく」と弟子たちに語るイエスにペトロは、「たとえ、みんながつまずいても、私はつまずきません」と言いました。するとイエスは、「あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度私のことを知らないと言うだろう。」と告げていました。事実ペトロは、イエスについて行けませんでした。
◎この恐怖を私も経験しました。4月1日になると学校では入学式についての職員会議があります。その中で私は、校長や来賓が登壇する際に講堂の壁にある日の丸に向かって頭を下げることに物言いをしました。つまり「日の丸は、昔慰安婦の人たちが閉じ込められていた建物の前に掲げていたものと同じものであり、それに向かってお辞儀をして登壇するのはおかしいのではないか」と発言したのです。すると日ごろ日の丸のバッジを付けている教師が逆上し、事務室に行って教育庁や新聞社に「川本教諭、日の丸を侮辱した」というファックスを送りました。
 それで教育長から校長に書類提出の要請があり、校長はあたふたと職員室と校長室と事務室を行ったり来たりしていました。その彼が廊下ですれちがった私に、「大変なことをしてくれたね」と語りました。その一言を耳にしたとき、それまで何の恐怖も感じなかった私は、頭が真っ白になり、恐怖のどん底に突き落とされました。フラフラしながら玄関を出て駐車場に向かって歩いていました。それは女中の一言で恐怖に襲われたペトロと同じではなかったかと思います。
◎ペトロはイエスについて行けませんでした。しかし、もしこのままイエスが死んで終わりだったら、これほど空しいことはなく、彼は、悔いと感傷の中で抜け殻のような余生を送ったと思うのです。彼は激しく泣きました。
 涙にもいろいろありますが、彼の涙は単純に「つながりが切れてしまった!」という悲しみの涙でありました。「あなたを知らない」と言ってイエスと無関係なところに身を置いて生きている自分を知り、己れの孤独を身にしみて痛感したのではないでしょうか。それは旧約聖書のコヘレトの言葉にある「空の空なるかな、一切は空」であるあの「空」という人間の根源的な孤独です。しかし、神から捨てられたイエスはペトロ以上でありました。
◎ペトロがその深い孤独の穴を覗き込んだとき、そこにイエスがおられました。彼は気づきませんでした。しかし、彼は気づかなくともイエスは彼と共にいることがおできになります。思い起こせばペトロがイエスとのつながりを持つことになったのは、3年前、ガリラヤ湖畔で漁をしているときでした。それもイエスの方から近づいてこられ、「シモン、私について来なさい」と声をかけられたときからでした。やがて12人の弟子に選ばれ、筆頭の弟子となってペトロと名づけられ、事あるごとにイエスの側に置かれました。
 しかし今、そのイエスは十字架の死を遂げました。ですからイエスはもうどんなに叫んでも手の届かないところに行ってしまったのです。そのことを知ったとき、彼は、自分の方からイエスにつながることは決してできない、イエスの方から捕まえてもらわなければ、つながることができない自分であることに気がついたのではないでしょうか。
◎その彼のところに復活のイエスが近づいてこられました。ヨハネ福音書の最後に、ガリラヤ湖畔で復活したイエスと弟子たちが食事をした場面があります。食事の後イエスが、「シモン、私を愛しているか」と聞きました。彼が、「先生、私があなたを愛していることはあなたがご存じです」と答えると、「私の小羊を飼いなさい」と言われました。そしてまた、「シモン、私を愛しているか」と聞き、「先生、私があなたを愛していることはあなたがご存じです」と答えると、「私の羊を飼いなさい」と言われました。そして三度目、「シモン、私を愛しているか」と聞かれたとき、ペトロは、「先生、私が…」と言ってハッとしました。
 彼はイエスが復活して再会したとき、本当に心から喜びました。もっとも、彼は初めのうちは顔を上げることができませんでした。しかしだんだん顔を上げられるようになり、今やもとの彼にもどって忘れていました。しかしイエスは、自分が三度知らないと言ったことを忘れてはいなかったのです。それなのにこれほどまでに自分を愛してくださっている! 彼は再び今度は声をつまらせて、涙がこみ上げてきたのではないでしょうか。
◎このように、キリストの証人として生きる歩みは決して立派で完全な歩みではなく、失敗だらけのみすぼらしいものでしかないと思うのです。しかし、ペトロは自分のすべての弱さと苦しみや困難をご存じであるお方をあらためて知りました。私たちも同じです。失敗し、マイナスに引きずられて振り回されること度々で、これからも経験するだろうと思います。
 けれどもそのたびにイエスが、「それでいいんだよ」と言っていることを覚えたいと思います。私たちが自分で思っているのとは比べものにならないほどに私たちの姿をご存じのイエスが、そのたびに、「それでいいんだよ」と語りかけて共におられます。そのことを信じ、そのことを感謝しながら、これからも主の証人として共に歩みたいと思います。

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