2024年6月9日 聖書:マルコによる福音書9章33~37節 「小さき者」大薮善次郎牧師

安息日は、人のために定められた。
人が安息日のためにあるのではない。
だから人の子は安息日の主である。
古代社会は宗教が支配していた。
そこでは宗教的な儀式、習慣、生活が決められていた。
それに対し、イエスの言葉は、社会をもひっくり返すことばだった。
人間が生まれながらに自由であるという考え方がイエスの教えだ。
真理はあなたがたを自由にする。
自由を求めて、何が正しいのかを問いながら生きて行く。
イエスの教えは、宗教が、社会を縛りつけていたことを示し、人間の自由も主
張したのである。
木ノ脇君の研究は、ルターとエラスムスとを対比させることによって、新し

信仰とは何かを示していった。「キリスト者の自由」は、人が互いに仕え合う
ことによって真の自由が得られることを示しているが、現代の信仰者の生き方
をもう一度考え直す必要がある。
 それは、教会には人が集まらないといって嘆くのではなく、たとえ小さくな
ったとしても、イエスの中に真の自由があることを語り続けていくことだ。教
会の使命がここにある。信仰者の生き方は、どんな時代になっても何が正しい
かを 問いながら生きていくことである。

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