⦿今日の聖書の箇所は、キリストの福音が異邦人の世界に広がっていく、それも神ご自身が大きな計画の中でそのことを進められていくきっかけとなった決定的な場面ですが、それについては後でふれたいと思います。
ところで、もしも着の身着のままで避難することになったら、これだけは持って行くというものは、あなたにとっては何でしょうか? 預金通帳ですか。形見ですか。ある人が「コーランだ」と言っているのを見て、自分は「聖書だ」と言えるだろうかと思いました。そのことから、あらためて「聖書とはどんな本ですか」と聞かれたら何と答えられるだろうかと考えました。
英語では聖書を「the Bible」と言います。バイブルとは、ブックつまり「本」という意味で、しかも最初のbが大文字のBであるので、聖書は「本の中の本」ということであり、「世界のベストセラー」とも言われています。
しかし、聖書は一冊の本のように見えますが、大きく分けると、旧約聖書と新約聖書の2冊から成っています。さらに旧約聖書は律法が5巻、歴史と詩歌を含む諸書が17巻、預言書が17巻あって、合計39巻から成っています。また新約聖書も福音書が4巻、書簡が22巻、使徒言行録が1巻あって、合計27巻から成っています。つまり、聖書は66巻の本を1つにまとめて綴じている図書館のような本なのです。
⦿では聖書の著者は誰かというと、じつは聖書は1500年間に約40人の人に書き継がれてきました。その職業は、王、政府の高官、祭司、羊飼い、農夫、漁師、医者などさまざまです。しかも不思議なことに統一性があります。なぜなら、著者たちの背後に本物の著者がいるからです。それは神です。じつは、神が彼らを導き、彼らの個性や特徴を生かしながら執筆させたのです。だから聖書は、年月は長くても著者がさまざまであっても統一性があるのです。
聖書の神は歴史の神です。それも私たちの歴史の中に介入して歴史を進めています。ですから私たちは、旧約聖書と新約聖書を連続して読むことが求められているし、命じられています。そこで今日は、旧約聖書と新約聖書の統一性を妨げているいくつかのことを取り上げ、取り除きたいと思います。私たちは、無意識のうちに、分けて読んでいるのではないかと思うからです。
⦿例えば、新約聖書を開くと系図が出てきますが、突然バプテスマのヨハネが現れます。しかも、都会ではなく荒野で活動を始めたのに、都会も田舎も関係なく人々が続々と彼のもとに集まってきたのはなぜでしょうか。また新約聖書にはパリサイ派やサドカイ派の人々は権力をふるっています。しかし旧約聖書には見当たりません。いったい彼らはどこから来たのでしょうか。また新約聖書には旧約聖書が引用されていますが、それが旧約聖書の言葉とかなり違うのはなぜでしょうか。
キリスト教がローマにまで広がったのは、キリストがいなくなってわずか30年足らずです。もちろん、キリストの十字架の死と復活を信じる者すべてに救いをもたらす神の力が働いていることは確かですが、しかし、言葉が通じ、交通が便利で、拠点が不可欠です。このように見ていくと、やはり旧約聖書と新約聖書を別々に切り離して読んでいるのではないかと思うのです。
⦿じつは旧約聖書と新約聖書の間には、4百年という空白の時間があって、その間のパレスチナは激動の時代でした。預言者マラキの時代から洗礼者ヨハネが現れるまでの4百年間、預言者は現れていません。神の言葉はなく、まるで神がイスラエルを見棄てたかのように見えます。
しかし神は最後の預言者マラキを通して、<見よ、私は使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は、突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者、見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる>(マラキ3:1)と語っています。この使者とは洗礼者ヨハネのことです。神は契約の民イスラエルを忘れてはおらず、むしろこの4百年は、キリストを遣わす準備の時だったのです。そこでその準備を3つの面から紹介したいと思います。
❶政治的な面
①バビロニア帝国が南ユダ王国を滅ぼす…エルサレムと神殿が破壊され、捕囚の時代となる。
②ペルシアがバビロニア帝国を滅ぼす(前539)…捕囚民の一部がエルサレムに帰還。その後、2百年はユダヤ人にとって比較的平和な時代となり、前400年頃、エルサレムが回復し、神殿が再建される。ネヘミヤ、エズラ、預言者マラキが活動。
③アレキサンドロス大王がペルシャを滅ぼす(前332)…ユダヤ人の苦難の時代となる。征服地のギリシャ化と人間中心主義と偶像礼拝が強制される。大王の死後(前323)後継者争い続く。
④セレウコス朝シリアの支配(前312~前63)…激しい迫害に抵抗。マカベア戦争で一時独立。
⑤ローマの支配(前63)…エルサレム占領、大祭司だけ認め、ヘロデをユダヤ王に任命。以後、ローマの圧政と重税と異教支配によりユダヤ人の苦難が続く。
❷宗教的な面
①サドカイ派…祭司たちと貴族階級から成る少数の特権階級。ローマから特権を得る。天使や悪霊の存在や肉体の復活も否定。地上的願いを求めた人々。
②パリサイ派…最も保守的でユダヤの伝統を固く守り、ギリシア化に強く抵抗。天使や悪霊の存在や死者の復活、永遠の裁きを信じ、大衆の支持を得た。律法を解釈した口伝律法を厳守して律法を無力化した。民衆はパリサイ的で、イエスに対して支持と敵対の2つに分かれた。
③七十人訳聖書の誕生…旧約聖書をギリシャ語に翻訳。ローマ世界はギリシャ語が公用語のため、離散ユダヤ人に必要であった。新約聖書に引用される旧約聖書は皆、七十人訳聖書からの引用であり、神がギリシャ語訳聖書を完成させ、福音宣教のために準備されたといえる。
❸社会的な面
①ユダヤ社会にメシア待望が高まる…バビロン捕囚以降、一時的平和な時期を除き、ギリシャ→シリア→ローマ支配と続く絶望的状況からメシアによる解放を求める風潮が広がっていた。洗礼者ヨハネのもとに続々と人々が集まったのは、あの「主の使い」の出現と信じたからである。
②異邦人たちに高まる渇望…ギリシャ・ローマの多神教がもたらす道徳的退廃に失望する反面、ユダヤ人と聖書に関心が高まり、また七十人訳聖書は彼らの霊的渇望に応えた。ユダヤ人の会堂にすでに聖書を読み、イスラエルの神を求める多くの異邦人がいたのはそのためである。
③街道が発達し、陸路も海路も安全に旅ができるようになった…「ローマの平和」時代は、パンと見世物や剣闘士が盛んな一方、道路・建物の維持管理が徹底された。庶民の話すギリシャ語が共通語になり、新約聖書も読みやすく、パウロもペトロも専門の言葉を学ぶ必要はなかった。
④会堂が各地に数多く建てられた…神殿が崩壊したバビロン捕囚の時に始まり、離散ユダヤ人の地にも約束の地にも多くなり、イエス時代にはパレスチナに480もあった。会堂はユダヤ人の生活の中心であり、礼拝・祈り・説教・冠婚葬祭・時事情報・学校などの場所となった。
⦿このように、街道が整備され安全な移動ができ、各地に会堂が建ち、庶民が語るギリシャ語が共通語になっていたことから、ペトロやパウロをはじめとするキリスト者たちは皆、宣教活動を精力的に行うことができたのです。それこそ神は休んでいたのではなく、来たるべき福音宣教のために着々と準備し、その整備のために歴史の中で働いておられたということができるのです。
そして最初にふれましたが、何よりも、ユダヤ人に約束していた祝福を異邦人へと広げていくことが、神の計画の中にあったということを思わずにはおれないのです。そのことを伝えているのが、先ほどお読みした聖書の個所であるわけです。もう一度その個所を見てみたいと思います。
⦿マタイ福音書はユダヤ人向けに書かれたものです。イエスにおいて待望のメシアが来ているのに、ユダヤ人の指導者たちは、神の律法よりも口伝律法を優先してイエスと激しく対立していきました。そしてその対立が決定的となったのが、彼らがイエスを「悪霊の頭ベルゼブルだ」と断定したときでした。それは単なるあざけりではありません。悪霊の頭ベルゼブルは、神を妨害するものであり、神の根本的、絶対的な敵であって、神によって完全に抹殺されるべき存在なのです。ですから彼らがイエスを悪霊の頭と決めたことは、イエスを間違いなくペテン師であると確信し、イエスを攻撃し抹殺する自分たちの行動を、神の名において、絶対に正しいと公言したことを意味します。
ところが神は、このことを、異邦人に向けて福音を広げていく機会にすることで、ユダヤ人に対する愛を示されたのでした。このことについて、モーセは神の言葉として、<彼らは神ならぬものをもって、私のねたみを引き起こし、むなしいものをもって、私の怒りを燃えたたせた。それゆえ、私は民ならぬ者をもって、彼らのねたみを引き起こし、愚かな国をもって、彼らの怒りを燃えたたせる>(申命記32:21)と語っています。これはパウロがローマ書で、ユダヤ人のことを語る9章から11節の中で同じことを語っています。つまり、ユダヤ人たちが神に背いて偶像を拝むので、神は、彼らをねたみ、怒りを起こして、彼らに与える祝福を、異邦人に与え、また他の国々に与えることによって、ユダヤ人たちにねたみを起こさせ、怒りを起こさせるというのです。
⦿ユダヤ人たちが、イエスに対して、「あいつはペテン師だ。悪霊の頭ベルゼブルだ」と言って、聖霊を冒瀆する恐るべき罪を犯したとき、神は、彼らが本来受けるべき祝福を異邦人のすべてに広げられました。このおかげで異邦人である私たちも、ユダヤ人に約束されている神の祝福にあずかることができているのです。しかし、そのためにイエス・キリストは、彼らから辱めを受け捨てられ十字架に殺され、3日後に復活されて、罪を滅ぼし、悪霊との戦いに勝利されました。
このじつに驚くべき神の計画が、旧約聖書と新約聖書の間の4百年の空白の歴史において準備されていたことを、私たちは、片時も忘れてはならないと思うのです。どんなときも契約の神ヤハウェは、休まずにご自分の計画に基づいて御業を働いておられるし、今日も働いておられます。ですから神は、私たちの人生にもそれぞれふさわしい時を定めておられます。そのことが自分にわかるかどうかに関係なく、神は私たちの時を定めておられます。しかもそれは限りなく素晴らしい時を備えておられることを信じたいと思うわけです。ですから、そのことを信じて、私たちは、今、自分に与えられている時間を有効に活かして、喜んで神と共に歩んでいきたいと思います。
定例行事
- 聖日礼拝
- 毎週日曜日10:30~
- 教会学校(子供の礼拝)
- 毎週日曜日9:30~
- 祈祷会・聖書研究会(午前の部)
- 毎週水曜日10:30~
- 祈祷会・聖書研究会(夜の部)
- 毎週水曜日19:30~
その他の年中行事
- チャペルコンサート(創立記念)
- 毎年8月下旬
- チャペルコンサート(クリスマス)
- 毎年12月23日
- クリスマスイブキャンドルサービス
- 毎年12月24日夜