2025年2月16日 聖書:ヤコブの手紙2章14~17・ローマの信徒への手紙3章21~22節「信仰義認に生きる」川本良明牧師

⦿只今2つの手紙を読んでいただきました。ヤコブの手紙は「行ないが伴わない信仰は、役に立たない。人を救うことはできない。」と語り、ローマの手紙は「人は律法の行ないではなく、信仰によって救われる。」と語っています。ローマの手紙を書いたパウロのことは、他にもコリント、ガラテヤ、フィリピ、エフェソなど多く手紙があって有名です。また宗教改革を行なったルターも、<人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって神から義とされる>というパウロの言葉によって回心し、そこからプロテスタント教会が生まれました。
⦿<イエス・キリストを信じる>とは、イエス・キリストというお方がどういうお方であるかを知り、このお方こそ自分の救い主であると信じることです。天地創造の永遠の神は、人間イエスとなって、それも人間の罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、十字架に死んで、その肉において罪を滅ぼしました。そして神は、このイエスを復活させて、御子の死によって罪が完全に贖われたことを宣言されました。このことを信じる人は、神に義と認められます。つまり救われるということであって、これを一言で言えば、信仰義認と言います。
⦿これに対してヤコブの手紙には、「行ないの伴わない信仰は、人を救うことはできない。」と書いているだけでなく、キリストの十字架の死とか復活といったことがどこにも書かれていません。それでルターは、この手紙を「わらの書」と呼びました。全く価値のないものと言ったわけです。しかし、この手紙は内容が豊かで、とても大切なことを書いています。わずか5章ですが、1章では試練の意味を語っています。そして試練そのものを喜ぶのではなく、試練を喜びの土台としなさいと勧めています。2章では今取り上げている信仰と行いのことが書かれ、3章では舌をコントロールすることの大切さ、4章では霊的な戦い、そして5章ではキリストの来臨が近いので、何事にも惑わされないで忍耐するように勧めています。ヤコブは手紙の中で、始めから終わりまで一貫して「忍耐する」ことを繰り返して勧めています。
⦿それにしても、なぜヤコブとパウロは正反対のことを語っているのでしょうか。その理由を考えると、じつは対立しているのではなく補い合っていることが分かります。二人ともユダヤ人であり、どちらも復活したイエスに出会って信者になった人たちです。そして、信仰義認によって新しい人間となり、聖霊の力によってキリスト者として成長していき、やがてヤコブはエルサレム教会の指導者となり、パウロは異邦人伝道者としてめざましい働きをします。
 じつは二人は何回か出会っています。パウロが異邦人伝道を始めて3年後、エルサレムに2週間滞在し、ヤコブと語り合っています。それから14年後、エルサレム教会で使徒会議が開かれました。これは使徒言行録15章に書かれているとても重要な会議です。異邦人伝道を熱心に展開していたパウロに対して中傷誹謗するユダヤ人クリスチャンたちがいて、猛烈な議論が起こったので、エルサレム教会に皆集まりました。そこにはヤコブが指導者としていたわけですが、その会議の中でエルサレム教会は、パウロが語り、活動していることを自分たちも同じであると認めました。それは初代教会が信仰義認と異邦人伝道を正式に認めたことを意味します。このようにヤコブとパウロは対立しているのではなく補い合っているのです。
⦿ヤコブは、母マリアから誕生したイエスのじつの弟で、子供の時からイエスと一緒に生活した人です。しかし彼は、イエスが十字架に死ぬまでは信者ではなく、イエスが復活した後信者になり、やがてエルサレム教会の指導者となりました。ところがユダヤ人クリスチャンでギリシャ語を話すステパノが、ユダヤ人たちに処刑された後、エルサレム教会に迫害が起こったためユダヤ人クリスチャンたちは各地に散っていきましたが、ヤコブは教会に残って活動を続けました。
 ヤコブの手紙の初めに<神と主イエス・キリストの僕であるヤコブが、離散している十二部族の人たちに挨拶いたします。>と書いてあります。「僕」は、ローマ人は無価値な奴隷を意味しますが、ユダヤ人は進んで神の御用のために仕えることを意味します。ヤコブはそういう意味で自己紹介しているのです。「離散している」とは小アジアやシリアなどの地域を指し、「十二部族」とはヤコブの子孫であるイスラエルの全部族を指しています。余談ですが、イスラエル国が南北に分裂し、北王国がアッシリア帝国に滅ぼされたとき、十部族が歴史から消滅したと言われていますが、それは誤りです。アッシリアによって捕囚されたのは上流階層の人々であって、多くの民は南王国に亡命して生き残りました。南王国がバビロニア帝国に滅ぼされ、捕囚になった時も同じです。つまり十二部族はずっと存在し続けているのです。
⦿ユダヤ人クリスチャンたちは皆、同胞のユダヤ人たちが主張している律法主義に反発していました。しかし、彼らは律法主義に対する反動から律法まで捨てていました。ユダヤの格言に「産湯を捨てるのに赤ん坊まで捨ててはならない」とありますが、彼らは無律法に陥ったのです。
 そのような彼らにヤコブが勧めたのが、信仰と行いの一致でした。彼は信仰義認の証拠として行いが伴うことを求めたのです。それは本来の律法に生きることでした。彼は、手紙の中で、本来の律法のことを<自由をもたらす律法>と言っています。それをパウロは<キリストの律法>あるいは<命の律法>と言い、ヨハネは<愛の律法>と呼んでいます。自由をもたらす律法・キリストの律法・命の律法・愛の律法は皆同じです。キリストを信じ、聖霊にあずかるならば、自然に愛の律法を行なうようになるのです。このようにヤコブは、無律法と戦ったのでした。
⦿一方パウロは、生前のイエスを知りません。彼はシリアのタルソで生まれ育ち、エルサレムで最高の律法学者のもとで律法を学びました。そして教会を迫害しているときに復活したイエスに出会って回心し、異邦人に福音を伝える使命を神から与えられた人です。彼は多くの教会を建てました。その中には、信徒が娼婦と交わるなど、罪の赦しがもたらす自由をはき違えて、みだらな生活をする無律法に陥った人も現れて、それに対処することもありました。
 しかし、彼がいつも対決を迫られたのは律法主義でした。それは、教会そのものを破壊する危険な教えであり、信仰の土台を揺さぶるものでした。「人は、律法を行なう行いによって神から義とされる」という律法主義の教えは、<人は、ただイエス・キリストへの信仰によって神から義とされる>という信仰義認の真理と真っ向から対立します。信仰義認にもとづいて福音を語るパウロに敵対する律法主義者たちは、どこに行っても執拗にパウロを攻撃しました。そのためパウロは、律法主義と戦わざるを得なかったのでした。
⦿ところでパウロの手紙を読むと、彼はユダヤ人をひじょうに鋭く批判しています。その根拠を、彼の民族意識とか同胞意識に求める神学者もいます。それはあったかもしれませんが、何と言っても彼が鋭く批判している基準は、イエス・キリストであったことを見落としてはなりません。イエス・キリストに対して彼らがどういう立場を取っているかが批判の物差しでした。
 彼らはキリストを殺しましたが、神はキリストを甦えらせて彼らを赦しています。しかし彼らはその愛を拒むだけでなく、この神を讃えている教会を迫害し、今も迫害しているのは、単に「愛の律法を行なわない」だけでなく「神を侮っている」として、パウロは悲しみと同時に鋭く批判しているのです。彼は、彼らが神に選ばれた特別な民族であることを示しながら、<あなたたちのせいで、神の名は異邦人の中で汚されている>と語っています(ローマ2:24)。
⦿<あなたたちのせいで、神の名が汚されている>というパウロの批判は、今の私たちの教会にとってもとても大切なことを教えてくれていると思います。私たちにとって、神の名を汚しているとはどういうことでしょうか。ある学校で生徒全員を集めてすばらしい人を招いて講演がありました。その講演中に教師が生徒の間に入って、うつむいている生徒の頭を上げさせたり、細い棒で頭を軽く叩いて回っていました。それは、まず教師自身が講演に感動したり、問われて変えられるところに身を置くことを忘れて、思い上がった姿だと思うのです。
 これを信仰の事柄に適用すると、礼拝や聖書の学びにおいて、まず真剣に神の前に立ち、神に聞き、悔改めることが求められていることを忘れ、「あの人に聞かせたい、あの人に聞いてもらいたい」とか「あの人には難しいのではないか」といった思いになることです。もしも神とその人の間に立ち入っていることに気づかないとすれば、「神の名を汚している」のではないかと思うのです。あるいは礼拝出席者が少なくなると、新しい人が来ないかと後ろの扉ばかりが気になるようになります。人数の多少にかかわらず、まず前を向き、天を見上げ、神の言葉を聞き、神をたたえ、悔い改めることが求められているのではないか。聖書の言葉を自分の命にかかわる言葉として聞こうとするならば、「人に聞かせてあげる」などの余裕はないはずです。
⦿今1つは、信仰と行いにかかわることですが、信仰が内面化して告白を伴っていないことです。それはキリスト者個人とか1つの教会のことではなく、日本のキリスト教会全体の深い傷であり、今も癒やされていないことです。日本は戦国時代以来、長くキリスト教を禁じる国でした。しかし近代になると、欧米諸国に追いつき追い越せの政策を進める政府は、国際社会に認められるために外面だけでも信教の自由を認めざるを得なくなりました。しかし内面では、皇室を国家の中枢に据えて、天皇を神とする国家形成をはかりました。このような日本に上陸したプロテスタント教会は、聖書を読み、十戒を守り、伝道活動を活発に行ないましたが、まもなくキリスト教を邪教視する国民と天皇制国家という大きな壁にぶつかりました。
 このような国民と国家と折り合いを付けるために教会が見出したのが、政府が打ち出した「神社は宗教ではない。神社参拝は日本人としての義務であり、天皇を讃えることは信教の自由を侵すものではなく国民儀礼である」という理屈でした。教会はこれを受け入れました。こうして「神社は宗教ではない。神社参拝も天皇・皇后の御真影に頭を下げ、君が代を歌い、教育勅語を唱えることは国民儀礼であり、信教の自由に違反しない」と納得させながら礼拝を守ってきた教会の信仰は、内面化しました。すなわち、心の中で自由にキリストを救い主と信じながらも、外に向かって告白することを恐れる信仰になったばかりか、信仰に伴う行ないは皇国臣民としての義務を果たすことでした。それこそ「あなたたちのせいで、神の名が汚されている」と神から問われ、同時に信仰に入っていない日本社会の人たちからも笑われるあわれな教会になったと言えます。
 しかし、聖書を読み、イスラエルの歴史を見るとき、神はそういう私たちを、また教会を、決して見棄てることはないことがはっきりと分かります。どんなに神に背き、堕落した状況になったとしても、神の計画は着実に進んでいます。信仰を捨ててしまったような有様になったとしても、神は必ずや私たちに真の信仰を与える約束をしていることを信じ、これからも主の憐れみを乞いながら歩んでいきたいと思います。

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