2025年5月8日 聖書:出エジプト記3章15節「主なる神の祝福にあずかる」川本良明牧師

⦿5月の第1日曜日、宮田教会の総会の日でしたが、礼拝で、奴隷解放者としての召命を受けたモーセのことを聖書から聞きました。宮田教会は1948年に創立され、この地に移ったのは1986年ですが、教会と切り離せないのが12年の歳月を経て1982年に千石公園に建てられた復権の塔です。その碑文には、「かつて炭鉱労働者として石炭産業に従事された多くの人々がその犠牲者となり、また戦時にあっては外国の人々の犠牲者も多数にのぼっており、過去の『人間疎外』に対して『人間性の回復』への願いと、諸外国犠牲者に対するお詫びの意味をこめて、『炭鉱犠牲者復権の塔』が千石公園に建設された。宮田町観光協会」と書かれています。
⦿周知のように、復権の塔の建設に中心的に尽力されたのは、宮田教会初代の服部団次郎牧師です。「炭鉱犠牲者復権」という言葉から、服部牧師の人間性回復への熱い想いが伝わってきます。そして、奴隷のように扱われていた炭鉱犠牲者を人間として見ておられたことは、今の私たちにとっても大切なことではないかと思うのです。そしてあらためて、本当の人間性回復について考えるとき、人類史上初めて、奴隷解放を起こされた神の業を思わざるを得ないのです。
⦿それを伝えているのが聖書の出エジプト記です。しかし、この書巻に注目するのは、単に奴隷であったイスラエルの民を奴隷身分から解放して自由にしただけでなく、奴隷状態から解放した後、彼らを潔め、本当の人間性に回復していく神の業を伝えているからです。つまり、エジプト脱出後、荒野の道を通ってシナイ山へと導くと、神はモーセを通して律法を授けて、人間として生きる基準を示しました。また、神を礼拝する場所として幕屋を作らせ、神が臨在してご自分の栄光を現し、彼らを神の民に相応しく生きるように導かれました。荒野において食料も水も神から与えられ、神を中心に生きる40年間の出来事を伝えているこの書を見ていきたいと思います。
⦿じつは出エジプト記を含む創世記・レビ記・民数記・申命記はモーセ五書と称ばれているように、著者はモーセです。そのことをイエスご自身が認めておられます。ヨハネ5:39で<あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書は私について証しをするものだ。>と語り、さらに5:45~47で<私が父にあなたたちを訴えるなどと、考えてはならない。あなたたちを訴えるのは、あなたたちが頼りにしているモーセなのだ。あなたたちは、モーセを信じたのであれば、私をも信じたはずだ。モーセは、私について書いているからである。しかし、モーセの書いたことを信じないのであれば、どうして私が語ることを信じることができようか。>と語っています。モーセが、創・出・レビ・民・申命記という5つの書を書いたのは、約束の地であるカナンに入る直前のイスラエルの民のためでした。40年前にエジプトを出た時に大人であった人々はもう死に絶えていました。そして今は、その頃まだ子供だった人や荒野で生まれ育った人々でした。モーセは約束の地を前に120才で亡くなったと申命記の最後に書かれています。ですから彼は、神からの直接の啓示を受けて、当時の様々な情報や伝承や記録、自分の体験を編集し、5つの書巻としてまとめたのでした。
⦿モーセは、自分の生い立ちと今イスラエルの民の指導者となっているいきさつを出エジプト記で書いていますが、何よりも歴史の中で働いている神を見すえて書いているのです。このことはたいへん重要です。世界的に言えることですが、最近のクリスチャンが直面している最大の問題は、自分のことに目が向き過ぎていることです。私はどうしたら祝福を受けるか。私はどうしたら問題が解決するか。私はどうしたら豊かになれるか。全部、私、私です。本来は、信じている神がどんなお方であるかを発見するところから全てが始まるのです。モーセは、約束の地を前にしたイスラエルの民のために、エジプトに来る前の先祖の歴史やエジプトでの歴史、そして出エジプト後の荒野での歴史において働かれた神のわざを書きました。そして、来たるべき約束の地でどのように生きるかを示したのです。
⦿彼はまず創世記を書きました。それは大きく2つに分けることができます。1つは人類一般の歴史で1~11章まで、もう1つはイスラエルの歴史で12章~50章までです。人類一般の歴史では、①天と地の創造が1~2章、②アダムとその家族が3~5章、③ノアとその家族が6~11章に書かれています。神が天地を創造し、人間を造った理由は、神は愛であり、光だからです。愛は愛する対象が必要です。光は閉じ込めることはできず、拡散します。神は天地を創造し、愛と光を現されたのです。これを神の栄光と言います。だから私たちは、神の愛の対象、神の栄光を現わす存在として造られているのです。ところがそれを破壊したのがサタンです。
⦿アダムとエバが失敗し、その子カインは弟を殺し、その子孫で悪が広がり洪水で滅ぼしました。ノアの子孫から人類は再出発しましたがバベルの塔のようにどの民族も堕落しています。そこで神は、全人類を祝福する方法としてアブラハムを選び、彼から救い主が出るようにしてくださいました。それがイスラエルの歴史であって、12章からアブラハム・イサク・ヤコブ・ヨセフの4人の物語を中心に書かれています。神はアブラハムを選んで一方的に契約を結びました。12:1~3<1主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。2私はあなたを大いなる国民にしあなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。3あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」>これは条文のようなのでアブラハム契約と呼び、無条件契約です。つまり、アブラハムとその子孫が万が一失敗しても神は契約を破らないということです。その内容は、①土地の約束、②子孫の約束、③祝福の約束です。彼がこの3つの約束を与えられたのは、彼が救われることではなく、全人類を救うためなのです。
⦿彼は百才、妻のサラが90才の時、子供のイサクを授かりました。イサクはヤコブが授かり、ヤコブになると70人の一族にまで増えました。じつはアブラハムは、<あなたの子孫は空の星のように増える>と約束する神の言葉を信じたとき、驚くようなことを告げられました。それは、<よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。>という言葉です。そして続けて、<ここに戻って来るのは、四代目の者たちである。それまでは、アモリ人の罪が極みに達しないからである。>と告げられました。このアブラハムに語られた神の言葉が言い伝えられていることを知ったモーセは、エジプトにイスラエルの民がいること、奴隷となっている意味をはっきりと理解したのでした。
⦿70人のヤコブ一族は、エジプトに移り住み、エジプト帝国が怖れるほどに一大民族にまで人口が増えました。それは、アブラハム契約が実現されていることを示しています。しかし、そのために彼らは警戒され、蔑まれ、奴隷身分に落とされました。出1章11節以下には、強制労働の監督の下に重労働を課せられ、偶像の町を建設させられます。通常であれば人口は減るはずなのに、虐待されればされるほど増え広がったのは、神の祝福によるものです。そのため彼らはますます憎まれ、粘土こね、れんが焼き、あらゆる農作業などの重労働をさせられました。さらに民族絶滅の危機を招くことになり、出2章23節では労働のゆえにうめき、神に助けを求め、神が歴史に介入することが書かれています。
⦿歴史に介入する神、それが聖書が一貫して語る神です。しかしその場合、天に座して、一方的に神が力を働かせて歴史を動かすことではありません。神は、人間なしに働くことはないのです。24~25節に<聞き、思い起こし、顧み、御心にとめられる>のです。そしてモーセを神は招きました。3:4<主は、モーセが道をそれて見に来るのをご覧になった>とは、彼の人生のすべてをご覧になり、彼の人間性をご覧になったという意味です。そして、彼の履物を脱がせました。自分の経験、自分の価値観、自分の支えとしているすべてを捨てるという意味です。額ずく彼に神は、<アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である>とご自分を示されました。そして、イスラエルの民にもご自分の名を告げるように命じました。
⦿それは、アブラハム契約で示された3つの約束のことを内容としています。①土地を与える、②子孫を増やす、③祝福の約束のことです。今からモーセに命じることは、その契約に基づいているというのです。神は無力なモーセだからこそ用いようとされています。それはまさに強大な権力と権威を持っている古代エジプト帝国を相手にする<主の戦い>に遣わすことでした。
 現在日本に在住する外国人は3百万人を超えています。これは日本史上初めて起こっていることです。かつて侵略と植民地支配した日本の外国人に対する排外と同化の姿勢は、現在も変わっていません。これからどういうことが起こるのか。4百年のイスラエルの民が、ある時から奴隷とされたように、苦難が来ます。来たるべき苦難を予想します。そのとき第一番に苦難が降りかかるのが教会であって欲しいと思います。なぜなら、教会が本当に真実にイエス・キリストを信じて、神に従っていくならば、そのような国の中では第一番に苦難を受けるのは教会ではないでしょうか。もし苦難を受けないとするならば、教会は偽物ではないかと思います。そういう意味で、そのことを見すえながら、出エジプト記を学んでいきたいと思います。

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