⦿出エジプト記を取り上げて7回目です。いつものように文脈を確認したいと思います。シナイ山で神から、エジプトで400年間奴隷となっているイスラエルの民を解放するように命じられたモーセは、兄のアロンと共にエジプトの宮殿に行き、エジプト王に神の言葉を告げました。それは、「イスラエル民族をエジプトから去らせて、荒れ野で主に仕えさせよ」というものでした。
そして、神はモーセにあらかじめ、<私は王の心をかたくなにするので、私がしるしや奇跡を繰り返しても、王はあなたたちの言うことを聞かない。だから大いなる裁きによって私の民をエジプトの国から導き出す>と告げていました。たしかに王の心はおどろくほどに頑なでした。そのために災いが10も起こりました。
しかし、神は人の罪さえもご自分の栄光を現されるために用いられます。もしも最初の災いで王が悔改めれば、イスラエルの民はエジプトから解放されています。しかし彼が頑なであったお陰でイスラエル民族は、出エジプトの出来事を過越祭として祝って子々孫々まで記憶できたし、真の神が誰であるかをエジプト人を初め全世界に証しすることができたのです。
⦿前回は、この10の災いが3×3+1=10の構造になっていることを紹介しました。1セットに3つの災いがあって3×3=9の災いであり、「+1」は最後の初子の死の災いです。
1セットの1番目<①血、④アブ(昆虫)、⑦雹>の災いは「朝、王に警告」し、1セットの2番目<②蛙、⑤疫病、⑧いなご>の災いは「時間は不明ですが王に警告」し、1セットの3番目<③ブヨ(害虫)、⑥腫れ物、⑨暗闇>の災いは、「警告なしに災い」となっています。
何よりも重要だったのは、この10の災いがすべてエジプトの偶像の神々に対する裁きであることでした。古代エジプト帝国には、「いのちの母」であるナイル川に関連した偶像神が満ちていました。このナイル川に関連して第1の災いが9月中旬から10月上旬に起こり、また第10の災いは春に起こりました。ですから、この10の災いは、約半年間に起こった出来事なのです。
⦿どの災いもエジプトに甚大な被害を与えるきびしい内容ですが、どれも神の裁きであり、短期間でイスラエル民族は解放されています。そのことから、なぜイスラエル民族はエジプトで奴隷身分とされたのか、またこの民族がエジプトから解放された意味を考えさせられました。
400年前、イスラエル民族の先祖ヨセフがエジプトの宰相となり、14年間行なった政策が創世記47:13~26に書かれています。まず7年間の豊作時には余剰穀物を国が買い上げました。飢饉が始まると貯蔵していた穀物を民に売って銀を集め、飢饉が止まらず死を待つしかなくなった家畜を買い上げて食糧を与え、さらに飢饉が続いたため農地を買い上げて種を渡すと、人々は進んで王の奴隷となりました。これらの政策の根柢には、人の苦しみと痛みが分かるヨセフの憐れみの心があり、王からも民からも喜ばれたのでした。
⦿しかし、祭司は農地を売らず、王のものにもならなかったと聖書は記しています。祭司が農地を売らずにすんだのは、王からの給与で生活ができていたので、飢饉の影響を受けなかったからです。このことは、エジプト帝国が宗教によって支えられていることを示しています。
飢饉によって蓄えた銀も家畜も農地も失い、奴隷となっていくエジプトの民は、自分の苦難の人生を宗教的に意味づけたと考えられます。なぜなら、飢饉が起こる原因はナイル川にあり、そのナイル川と深いつながりを持った宗教のもとで生活している人々は、飢饉の苦難の中でますます神々に依り頼むことが起こったと思うのです。
その反面、祭司階級は、いっそう権威を強めていきました。彼らは、異常な豊作と異常な飢饉の中で、神々を敬う施設をますます整備し、増やしていき、土木建築も盛んに行なわれました。しかし、そのことで最も障害となったのはイスラエルの民でした。彼らは神々を拝まず、エジプト人とは全く違う見方をして生活していたからです。
⦿さて、イスラエルのことに目を向けますと、王の宰相であったヨセフは、カナンの地にいた一族70人を飢饉の時にエジプトに呼び、ナイル川下流のデルタ地帯で、非常に豊かな土地で牧畜に適したゴシェンの地に住まわせました。それは、少数だとカナン人の宗教や文化に同化する危険があるのでエジプトに移住させて、エジプト人の嫌う羊飼いとして、エジプト文化から隔離された地で生活するためでした。それはヨセフの考えではなく、彼が絶対の信頼を寄せていた主なる神の計画であって、そのことをヨセフはしっかりと見すえて取り計らったのでした。
エジプト王や祭司たちは、ヨセフやイスラエルの民がエジプトの神々を拝まないことをよく知っていました。<ヨセフのことを知らない新しい王が出て彼らを警戒せよ>(出1:8)とあるのは、彼らを異質な民と見たからでした。ですから、エジプトの民が奴隷であることとイスラエルの民が奴隷であることは、まったく意味が違います。イスラエル民族が奴隷とされたのは、エジプト人から警戒され敵視されて、皆殺しされ絶滅されるためでした。エジプト人が奴隷となったのは、ヨセフが彼らを救うためでした。彼らは進んで奴隷となることでいのちを助けられたのです。ですから、同じ奴隷でも意味が違います。そこに神の深い計画を思わざるを得ないのです。そこには、イスラエル民族を滅ぼして神の計画を妨害する悪魔の働きと関係しているからです。神による10の災いは、反ユダヤ主義の政策を進めるエジプト帝国に対する裁きであり、戦いなのです。
⦿第1の災いで「いのちの母」であるナイル川が、かつてない赤潮で血のようになり、川の生き物は死にました。これによってナイルの守り神クヌムとかナイルの霊ハピイ、魚の守り神ネイトなどが裁かれて、「いのちの支配者は主である」ことを明らかにしました。
第2の災いで蛙が大量に発生し、死にました。蛙は両生類です。2つの世界で生きる生き物として崇拝され、その偶像ヘクトは、体が女性で顔が蛙であり、ナイル川の守り神クヌムの妻とされ、復活と豊穣を象徴し、永遠の来世信仰と復活信仰の対象でした。その蛙が今や人々から忌み嫌われる対象となったのです。
第3の災いで害虫が大量に発生しました。祭司たちは汚れを除くために体毛を剃っていますが、害虫を払い除くことができませんでした。
第4の災いで蠅が大量に発生しました。蠅は腐った物の中から誕生するように見えるので崇拝されていましたが、その神ベルゼバブが裁かれたのです。
第6の腫れ物の災いは、400年間強化煉瓦を作るために焼いてきたかまどのすすを蒔いて起こりました。それはナチスの強制収容所で死体を焼いた焼却炉のすすと同じです。腫れ物の神はセラピスですが、この神が裁かれました。
⦿先ほどお読みした暗闇の災いは、3セット目の3番目の警告なしに、モーセが天に手を差し伸べて起こった三日間の暗闇です。もちろんローソクその他の明かりでしのいだでしょうが、その災いで、太陽神ラー、日輪像アトン、ケプリ(フンコロガシの頭を持つ太陽神…糞を丸くする力=太陽を動かす力を持つとされる)、夕日、月等の神々は皆、その無力さを暴かれました。
これに対して、イスラエルの民が住むゴシェンの地には光がありました。じつは第4の災いの時、神はモーセを通して王に対して、<私は、私の民をあなたの民から区別して贖う。>(8:19)と通告していました。それ以来イスラエルの民は、区別されて災いから守られていましたが、この時には、太陽や月の光でも燭台や焚き火の光ではなく、文字通り神の栄光によって守られていたのです。創世記1:3の「光」であり、荒れ野で導かれた「光」であり、幕屋や神殿に降った「光」など、聖書にたびたび出てくる神の栄光です。
その一方宮殿では、王がモーセを呼び、雹といなごの難を逃れた羊と牛を残してエジプトを去るように命じましたが、すでに立場が逆転していたモーセは断固拒否しました。すると王は、「二度と余の前に現れるな。今度会ったら殺す」と最後通告をしたため、モーセも神からの最後通告を告げて、<憤然としてファラオのもとから退出した>のでした。この神から示された最後通告の内容が11:4~8で語られています。これが第10の災いです。
⦿このように、イスラエル民族がエジプトで奴隷となることが、神の計画であることを知るとき、この民族がエジプトから解放されることは、単に奴隷身分からの解放ではないことが分かります。たしかに、結果的には奴隷解放が起こりましたが、奴隷制も含めてエジプト帝国の経済的・政治的体制を根柢から支えていたのは、祭司階級による偶像崇拝だったからです。つまり、神の裁きである10の災いは、これらの偶像崇拝の空しさに対する勝利であり、同時にエジプト人の死生観と来世観に対する勝利でもありました。
永遠の来世、太陽神、死後にオシリス神の審判を受ける信仰など、エジプト人の死生観や来世観は、仏教と民間信仰が結びついた日本人の死生観や来世観と非常によく似ています。死んで7日目(初七日)に三途の川を渡るが、「橋、緩やかな川、急流」のどれを渡るかは、生前の生業で決まるとされています。またその向こうに閻魔大王が待っているのはエジプトのオシリス神と同じです。また太陽神も神々の頂点である天照大神と同じです。
⦿私たちは、聖書に立って確かな希望を確認したいと思います。それは、イエスの言葉です。<私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者はだれも、決して死ぬことはない。あなたはこのことを信じますか>(ヨハネ11:25~26)と言われています。聖書の死生観も来世観は、非常にはっきりとしています。
クリスマスが終わると1週間も経たないで初詣をする人口は1億人(当局発表)とされる日本人の、神以外のものに頼る愚かさと同時に死後の恐怖感を心の奥で抱いている現状を考えます。しかし私たちは、死後において、生前に犯した罪悪を背負っています。これを問いつめる悪魔に対して、私たちの傍には、イエス・キリストが助け主として弁護人としておられることを知っています。そして、<私はあなたのためにすべての罪を贖った。私は命であり、復活である。あなたはこの私を信じてここに来たのではないか。だから、だいじょうぶだよ>と言われるのではないでしょうか。
しかも、何も死後のことではなく、今、私たちは十字架の上から、<私はあなたのために死んだ。だからあなたは私を信じて生きなさい>とイエスから叫ばれているのです。このような神を示され、また信じることが赦されているのです。やがて教会の時代が終わるときが来ます。そのとき生きている信者は皆天に上げられます。また死んだ信者は皆復活させられます。そのとき私たちは、天においていっせいに、<主のような神は他にはおられません>と喜び叫ぶ者とされるということを感謝したいと思います。ですから、どうか、今私たちは、エジプトの王のように、神の恵みを受けながら、いつまでも頑なな心にしがみつくのではなく、早く決心して、神の恵みに応えて、御子イエス・キリストの救いをもっと信じる者となることを願っています。
定例行事
- 聖日礼拝
- 毎週日曜日10:30~
- 教会学校(子供の礼拝)
- 毎週日曜日9:30~
- 祈祷会・聖書研究会(午前の部)
- 毎週水曜日10:30~
- 祈祷会・聖書研究会(夜の部)
- 毎週水曜日19:30~
その他の年中行事
- チャペルコンサート(創立記念)
- 毎年8月下旬
- チャペルコンサート(クリスマス)
- 毎年12月23日
- クリスマスイブキャンドルサービス
- 毎年12月24日夜