獺祭忌 子規逝くや十七日の月明に 高浜虚子
子規 1867~1902(M35) 虚子1874~1959(S34)
芝居じみた句といわれる。才能はなく長寿であった。
杉田久女(1890~1946)57才 日明に住む 旧居は現存
こだまして山ほととぎすほしいまま
足袋つぎてノラともならず教師妻
理由もなくホトトギス除名 虚子と諍いがあったようである。
松本清張『菊枕』に詳しく書くが、真実とは違うと娘は言っている。
子規は「歌詠みに与うる書 1898(M31)30歳で書く
これが凄い説得力がある。人間30歳は強い
キリストも柳宗悦(朝鮮人をおもう)も30才である。同様に説得力がある
栗のこと 千石の家に一本の栗の木がある
家を建てる前からの古木である。これで、一年中楽しめる
先週から、収穫である。落ちてきた実のはじけた栗は綺麗である。
与えられ 整えられ 守られている気がする。
ある牧師が、礼拝は守るものであると言っていた。
そうすることで、自分が守られる。実際そうである。
私のように、不真面目な人間は,教会が、与え 整え 守ってきたようである。
教会で奏楽をすることで、大学の合唱で指揮者に抜擢され、卒業後も井筒屋の合唱を指導、それが千石の家に繋がっている。不思議である特別な才能があったわけではない。
歌についても、30歳で書いた論考(下関における韓半島の文化)ために韓国語を学ぶ過程で韓国の歌曲に出会い。それを声楽のコンクールで歌うことで、仕事を得た。
全てが準備された気がする。そして守られた気がする。
重い病気を二度乗り切った。
これからも、苦難がなんども訪れると思う。しかし守られると思う。
杉田久女は、受洗しているがすぐに止めてしまう。それで精神を病んで57歳で亡くなる。残念である。
来月からバスがなくなる。どうしようかと思っているがたぶん何とかなる
神様が守って下さる。神は愛である。