聖書のお話

2019年8月4日 聖書:ローマの信徒への手紙1章1~7節 「交わりのうるわしさ」世良田静江牧師

今日の箇所は使徒パウロが「ローマにいる神に愛され召された聖徒一同へ」宛てた手紙であることは、交わりを求めて書かれた手紙といっていいでしょう。ゴッホとゴーギャンが共同生活をして互いに刺激しあい成長をするためには良かったので … 続きを読む

2019年7月28日 ヘブライの信徒への手紙2章1~9節 「押し流されないために」川本良明牧師

 現代は情報が洪水のように溢れています。情報とは言葉であります。人の言葉によって押し流されやすい私たちにとって、どの情報を聞き、選び、決断するかは、重大な事柄です。先ほどお読みした、<私たちは聞いたことにいっそう注意を払 … 続きを読む

2019年7月21日 聖書:フィリピの信徒への手紙2章1~11節 「あなたは何を一番大切にしていますか」豊田護兄

 人は色々な衣をまとって自らを表そうとします。それが地位であったり、財産やお金であったり、学歴であったりと色々です。キリストはどうでしょうか、偉大な力と神の子であることをけっして人に告げようとしませんし、奇跡を起こすたび … 続きを読む

2019年7月14日 聖書:ルカによる福音書7章18節~35節 「イエスに躓かないために」 茶屋明郎牧師

 主イエスが「私に躓かない人は幸いである」というすごい自己証言をされたのは、バプテスマのヨハネから、「来るべき方はあなたでしょうか。それとも他の人を待つべきでしょぅか」という質問を受けた時でした。  主イエスは、ご自分を … 続きを読む

2019年7月7日 聖書:イザヤ書52章7~10節  ローマの信徒への手紙10章14~15節 「いかに美しいことか。良き知らせを伝える者の足は」 世良田静江牧師

足が美しいというのは異常な言葉ではないでしょうか。普通は顔が美しいとか、姿が美しいと言いますが、足が美しい、うるわしいとイザヤ書の作者は言うのです。私は一番見られたくないのが足です。左膝の痛みをかばって歩く姿や顔も見られ … 続きを読む

2019年6月30日 聖書:イザヤ書38章1~5節 詩編6篇8節 「神エホバの御計画とヒゼキヤの涙」柴田節子姉

 私たちにとって死は突然おそってくる打撃です。遠藤は「自分は多分みじめにわめきながら死ぬであろう」と、また佐藤先生は「野たれ死が希望だ」とおっしゃっていました、しかしお二人とも静かに帰天なさいました。 ダビデの家系の中で … 続きを読む

2019年6月23日 聖書:ヨハネによる福音書21章15~16節 「自らを受け入れる」 豊田護兄

 ペテロは三回同じ事質問をされます。かつて三度裏切ったという事実があったからでしょう。イエスは何もそのことにはふれません。しっかりとその事実を、自らのおかした罪を受け入れなさいと言うかのようでもあります。そして、人は自ら … 続きを読む

2019年6月16日 聖書:出エジプト2:23~25、ヘブライ1:1~3 「御子こそこの世の希望です」 川本良明牧師

世の中には神々が溢れています。また「人間とはこうだ」という人間論も溢れています。それは人には宗教心があり、理性があるからです。限りない愛をもって天地を創造された神は、私たち人間を、「神を愛する」「隣人を愛する」「体と精神 … 続きを読む

2019年6月9日 聖書:エゼキエル書37章1節~14節   「聖霊それとも幽霊」 茶屋明郎牧師

 聖霊は、私たちを恐れさせる幽霊のようなものではなく、また混乱させ、ダメにし、滅ぼす悪霊でもなく、そうではなく、安心を与え、喜びにみたされ、命に溢れ、生き生きと生きることができる力であり、風と同じように、見えないけれども … 続きを読む

2019年6月2日 聖書:使徒言行録1章12~26節    「昇天のキリスト」 世良田静江牧師

今日の箇所はまず弟子たちがオリブという山からエルサレムに戻って来たという書き出しから始まります。この山はエルサレムに近く、安息日に許されているところと記されています。安息日、仕事、働いてはいけないという戒めで、その距離2 … 続きを読む