聖書のお話

2018年7月8日 聖書:エフェソ信徒への手紙6章10~20節 「神の武具」豊田護兄

 昔17歳で洗礼を受けた時に、森分牧師から「どうして洗礼を受けようと思ったのですか」と尋ねられ、「エフェソのこの箇所によれば、神の武具を身につければ強く生きて行けるから」と答えたのを今でもはっきりと覚えています。それから … 続きを読む

2018年7月1日 聖書:ローマの信徒への手紙9章19~24節エレミヤ書18章1~6節 「神の声に聴く」世良田静江牧師

エレミヤ書18章6節 イスラエルの家よ、この陶工がしたように私もお前たちに対してなしえないというのかと主は言われる ローマ人への手紙9章24節 神は私たちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけではなく、異邦人の中からも召し … 続きを読む

2018年6月24日 聖書:ヨハネの手紙①5章14節~15節  「神の御心に適う」 豊田滋兄

1. 6/25は、朝鮮戦争の勃発した日  1950 625 特需景気  韓国はベトナム戦争 2. 先週は熊本市  川尻 花岡山 熊本バンド 明治9(1876年)1.30  同年10.24神風連 翌年 西南戦争 花岡山から … 続きを読む

2018年6月17日 聖書:ローマの信徒への手紙      5章1節~5節 「希望」 豊田護兄

「希望」とは何でしょう。ここで述べられている「希望」は、私たちが日常的に 使っている希望という言葉と少し違っている気がします。裏切られることのない 「希望」とここの聖書には書かれているからです。  私たちが日常使うときの … 続きを読む

2018年6月10日 聖書:ヨハネによる福音書 第14章8節~17節 「満ち足りるとは」鈴木重宣牧師

 「わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」  「あれがそうだ」などと言われて満足できるのだろうか?そもそも「満足」の裏には「欲求」がある。欲求が満たされても一時的でまたぞろ不足を感じるようになってしま … 続きを読む

2018年6月3日 聖書:ローマ人への手紙8章26節~8節 「万事が益となる生き方」世良田静江牧師

 本日の箇所は18節から続く一部です。「われ山に向かいて目をあぐ。わが助けはいずこよりきたるや。わが助けは天地をつくりたまえる主よりきたる。」 山に向かって目を上げるのは、山から救いが来るのではなく、天地の創造者なる神か … 続きを読む

2018年5月27日 聖書:ローマ信徒への手紙5章1~5節 「希望」 豊田滋兄

兄の病状について   立花山の奥に背振山 最近の経過報告   下関西教会 世良田先生 小川長老 地区委員会 靖国人権委員会 蛍の事 幻想的 ひとりじめ  谺して山ホトトギスほしいまま 杉田久女(日明教会の近く) 青梅や乙 … 続きを読む

2018年5月20日 聖書:使徒言行録2章1節~8 「聖霊の降臨」川本良明牧師

 30代のころ、初めて在日大韓基督教教会の礼拝に出席させていただきました。説教が韓国語で始まり、全く分からないでずっと下を向いていました。すると突然、日本語が聞こえてきました。同じ説教を初めは韓国語、次は日本語で語るので … 続きを読む

2018年5月13日 聖書:コリント人への第一の手紙    12章3-13節 「御霊でつながる」鈴木重宣牧師

 今日は母の日です。父親の古希祝いをするために、先週子ども四人でサプライズ訪問しに東京に行ってきました。夕食の席に懐かしい家族の団欒を再現し、驚いた父は「遠いところから大変やろうに・・・」と涙ぐみ、その父を見た母がまた涙 … 続きを読む

2018年5月6日 聖書:コリントの信徒への手紙Ⅰ 10章13~14節「偶像礼拝を避けなさい」 世良田静江牧師

 アメリカのデューク大学の教授リチャードヘイズ先生の書かれたコリントの信徒への手紙の注解書は日本の大学で神学校を併設されている神学部の教授の方々によって約されています。ヘイズ教授は研究休暇でエルサレムの超教派研究所にいる … 続きを読む